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香港ベーカリー「嘉頓」本社ビル 政府、歴史的建造物の建て替えにGOサイン

発表された完成予想のイメージ

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 香港政府規劃署(Planning Department)は9月19日、香港最大のベーカリーである「嘉頓(Garden)」の深水まる(Sham Shui Po)にあり、歴史的建造物2級に指定されている本社ビル建て替え(58 Castle Peak Road, Kowloon, Hong Kong TEL 2360 3160)について「申請について反対しない」とし、事実上、建て替えを了承した。一方で城市規劃委員会(Town Planning Board)は、もし建て替える場合は、屋上にある時計と建物の外壁にある赤色の部分と、外壁に掲げられた同社の2つのロゴの保存を求めている。

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 嘉頓は1926年に張子芳といとこの?華岳の2人で創業。当時香港ではやり出したケーキとビスケットの流れに乗ろうとビジネスを展開した。「喜頓」と命名した理由は、中環(Central)の香港動植物公園(Hong Kong Botanical Garden)に出店しようと考えたためで、「Garden」の音に近い漢字を当てた。実際には1927年、德輔道中(Des Voeux Road, Central)に初めての店舗をオープンした。1931年に深水●の鴨寮街(Ap Liu Street)にあった3階建ての建物に移り、工場では24時間体制で製造するほどの企業に成長した。翌1932年に火災が発生し工場が数カ月間閉鎖に追い込まれた。1935年になると青山道の現在の場所、475平方メートルの土地を購入して1万香港ドルで総面積1400平方メートルの事務所兼新工場の建設に着手。1938年に完成し運用を開始した。そのころは小売りだけではなく、イギリス軍向けパンの製造や長期保存が可能なビスケットなどを香港政庁から請け負っており事業規模は拡大していった。

 しかし、1941年に日本軍が香港を攻略。同社の工場は日本軍に接収され設備や原料などは全て破壊された。1945年、日本が敗戦すると、同社は程なく復活。戦後の混乱期は安定的な食料供給が不可欠だったため香港政庁からの支援も受けた。当時のパンは量り売りも行っており、1ポンド0.5香港ドルで破格の値段で販売され、かつ質も高かったことから同社の製品は香港人の心を捉えた。

 ビジネスは、戦前同様にイギリス軍指定のパンの製造工場などに指名されたこともあり拡大の一途で、工場は1951年7000平方メートルに増築。それでも手狭になり1958年は7階建て1万平方メートルの建物とほぼ現在の外観が形作られた。コーポレートカラーである赤を外壁に使い、建物最上部には大きな時計があるのが特徴だ。外からは見えないが、屋上には庭園も完備している。それでも生産が追い付かず、1962年には深井(Sham Tseng)、1987年には東莞、2000年には中国企業と合弁で江蘇省揚州にも工場を作り製造している。

 現在は、食パン、マフィン、ピタ、ケーキ、ウエハース、クラッカー、ビスケット、バターロール、キャンディーなど幅広く製造。香港で最初に製品に包装をした会社であり、月餅用の入れ物に鉄の器を最初に使ったのも同社。香港のマクドナルドのパンの製造も請け負っており、今年9月8日に深井の工場で火災が発生しパンの供給が危うくなりそうだったが、幸いマクドナルドが4日分の在庫を抱えており、事なきを得たことも香港社会の間では知られている。

 拡張を重ねてきた80年の歴史を持つ現在の本社は現在も工場として使っていることもありメンテナンスが行き届いているためか、見た目はきれいで80年の歴史を感じさせない。

 香港政府に提出された改修計画によると、総事業費23億円、地下3フロア、地上22フロアで、地下は駐車スペース、1~5階、8~10階、21階はショップやレストランなどの飲食サービスを提供するフロア、貸し出し用オフィス(11~20階部分)、ほかにもクッキングスクールを兼ねた複合ビルだ。

 建て替えについて、香港政府には市民から380件の意見が寄せられており90%は建て替えに反対だった。そうした意見を踏まえ、城市規劃委員会は建て替えについて条件を付けたものと見られている。

●=土へんに歩。

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