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レスリー・チャンさんの命日に多くの香港市民が献花ささげる 没後15年

毎年4月1日はマンダリンホテルの外壁の一部をファンに開放して、花が並べられる

毎年4月1日はマンダリンホテルの外壁の一部をファンに開放して、花が並べられる

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 俳優・歌手、張国栄(レスリー・チャン)さんの自殺から15年を迎えた4月1日、今年も多くのファンがマンダリンホテルに献花をささげに集まった。15年前の2003年は重症急性呼吸器症候群(SARS)の拡大の真っ最中で社会が混乱する中、香港社会をさらに暗い影に陥れる悲劇だったが、15年が経過した今でもその人気は色あせていない。

多くのファンが列に並び、花を捧げたり、写真を撮影したり

 当時の香港は、まだSARSという名前すらなく、未知のウイルスによる病人が増えるという状況で、チャンさんが自殺する数日前も集団感染が判明したばかりだった。重苦しい雰囲気の中、突如飛び込んできたのが、チャンさんが自殺したという一報だった。市民のほとんどの関心はSARS一色で、4月1日のエープリルフールということもあり、最初はニュースを信じない人も多かったが、テレビ・ラジオなどがニュースを継続して放送し、携帯電話のショートメッセージも広がって「本当のニュースなんだ」と信じられるようになり、香港社会はどん底に落とされたかのような日だったという。

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 自殺した場所は、中環(Central)にある最高級ホテル「文華東方酒店(Mandarin Oriental)」だ。チャンさんは夕方ごろ、同ホテル内にあるヘルスセンターに到着し、ソフトドリンクを注文したという。その後、受付の人に遺書を書くべく紙とペンを依頼。そして、18時30分すぎ24階の窓から干諾道中(Connaught Road Central)側の方に投身。間もなく道路に横たわっているチャンさんが発見され、すぐ救急車に乗せられ瑪麗醫院(Queen Mary Hospital)に運ばれ、死亡が確認された。

 自殺の原因は、神経の衰弱、彼は同性愛者ともいわれていたが、長年の恋人である唐鶴徳(Daffy Tong)さんと新しく知り合った男性との関係で悩んでいたと話題にはなっていたものの、遺書には明確には書かれていない。

 毎年4月1日になると、同ホテルの前には熱烈なファンによる献花が続いてきたほか、チャンさんが銀行家であった唐さんと一緒に住んでいた九龍塘(Kowloon Tong)の一軒家の前にも献花されていた時もあった。香港だけではなくチャンさんの追悼を込めてチャンさんの出演した映画の上映会が日本や台湾など、毎年どこかでチャンさんに関するイベントが開催されている。

 チャンさんが芸能界に入ったきっかけは1977年、麗的電視(旧ATVの前身)に主催の音楽コンテストで準優勝したこと。1984年、吉川晃司さんのヒット曲「モニカ」をカバーした曲「Monica」リリースすると人気が爆発。一気にスターダムにのし上がる。モニカは日本人が香港人と一緒にカラオケに行って歌えば喜んでもらえる「鉄板」の曲の一つというほど香港の音楽史にも残る曲になっている。

 出演した映画においては「男たちの挽歌(ばんか)」「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」「欲望の翼」「ブエノスアイレス」などヒット作・名作が多いが、カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞した「さらば、わが愛/覇王別姫」への人気が高い。日本との戦争など戦乱の中国の時代の京劇役者を描いた作品だが、チャンさんは男性を愛する役を演じ、渾身(こんしん)の演技は高い評価を得た。

 チャンさんは表現者として成功するには「●、型、●、寸」(色気、カッコよさ、美しさ、尊大さ)が必要とコメントしたことがあるが、彼を継ぐような新しいスターはまだ出現していないという声も多い。

 ●=女へんに交、●=青へんに見。