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インタビュー2015-04-22

33年ぶりの香港公演。さだまさしさん、日中友好への思い

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 33年ぶりにさだまさしさんが香港でコンサートを開催する。さださんが最初に中国でコンサートをしたのは、1980年9月の北京展覧館。初めて聞く歌、初めて見る楽器、そしてさださんの登場に多くの人がステージに詰め寄った。さださんと中国の関係性は深く長い。中国本土、台湾などあわせ、これまでの公演回数は20回を数える。映画「長江」で多額の借金を抱えながらも、長江に生きる人たちに人々の姿を描き、その雄大さを伝えたことで、多くの人が涙を流した。それから35年の時を経た今、音楽の力で友好を図るべく、チャリティーコンサートを行う。香港のコンサートを前に、その思いを語ってくれた。

 さださんが、最初に中国でコンサートをしたのは、ドキュメンタリー映画「長江」(1981年11月公開)を撮影するに当たって、中国に憧れて撮影に来たことや友好の意思を伝えるにはコンサートをやるのが一番分かりやすいと思ったからだという。コンサートの模様は国慶節の休みに全国放映され、その放送は6億人が見たという記録が残っているほどだ。「そういう意味では『さだまさし』を知ってもらうための挨拶代わりのコンサートだったし、その効果は絶大だった。番組で一気に有名にしてもらったからね。」と話す。

 北京のコンサートの初日、アンコールの歌が終わった後、観客が一斉に席を立ってステージに押し寄せて来た時は思わず後ずさりしてしまったという。「襲われるんじゃないかと思った」と当時の様子を振り返り、「感動の意思表示で、拍手の渦がどんどん大きくなってからその意味を理解したけど、本当に怖かった。海外から電気楽器を持っていったのは初めてで、ショー形式のコンサートは初めてだったから、観客の驚きも大きかったようだね。」と当時を懐かしむ。

 その後も中国各地で精力的にコンサートを開いたのは、映画「長江」のお礼奉公の意味あいが強く、81年9月に上海で5回、85年10月には南京で実施した後、上海でもう3回、87年10月には成都で5回コンサートを開いたという。長江沿いの都市がほとんどで、撮影の間に「ぜひ、うちの街でもやってほしい」と言われていたことで、撮影の御礼も込めて出かけて行った。

 今回のコンサートには、2011年3月の東日本大震災支援のお礼の意味がある。海外から多くの義援金が寄せられ、香港も芸能人たちによるチャリティーコンサートが開催されるなど対応が早かったエリアである。「有難いと思っていた。だから今回のコンサートでは香港のみなさんの友情への感謝を込めて歌いたい。」と話し、「同時に復興への道程、特に原発事故の被災地である福島の復興はまだ始まったばかりだということも知って欲しい。」と風化させないことの意義も語る。コンサートの収益は、福島への支援に充てる予定で、一部は香港から日本に留学する学生の支援金としてチャリティーされるが、香港でのコンサートは1982年8月以来の33年ぶりであるため、久しぶりの香港も楽しみにしているようだ。

 さださんと中国の関係は、映画「長江」の撮影にある。厳しい撮影環境の中で行われ、撮影期間も予定より大幅に伸びた長期滞在の中で、さださんにもっとも影響をもたらしたものは、「借金」に尽きるという。素晴らしい中国を撮ろうと個人で28億円の借金を背負った。でも後悔はしていないという。「最大の財産は1個人で向かい合えば、中国人も日本人も同じだということを知ったこと」と話す。「撮影の際、行く先々で出会った人はいい人ばかりだった。日中戦争の体験者もたくさん残っていた時代だったけど、出会った人たちはみな素晴らしい人ばかりだった。政治だ何だと背負っているものがあると、付き合いが建前になってしまうけど、1個人であれば本音で向き合える。そのことを教えてもらった。」と言葉を紡ぐ。

 またさださんは、当時の中国と日本の関係を振り返りながら改めて「中国」にどんな思いを抱くかという点については、「昔も今も中国は『日本文化のふるさと』だと思っているし、同じ文化を源泉とする一衣帯水の関係だね。どちらが上流で、どちらが下流かという考え方ではなく、同じ川の民だと思うからこそ仲良くしたい。」と話す。中国は大陸で、日本は島国であるため、国民性の違いは紛れもなくあり、大所帯を養うためにはエネルギー、食料、違う切迫感がある状況を理解した上で、「同じ論理では語れない部分があっても一衣帯水の関係を大事にしたい。」と語る。

 現在の日本の風景について尋ねると「日本の美しい風景はほとんど変わっていない。今も田んぼに案山子は立っているし、カラスもいるし、稲穂は鮮やかに実っている。」と話す一方で「新幹線が開通し、どの駅もほとんど同じデザインの駅舎になってしまった。便利になった分、個性がなくなってしまった風景はあるかもしれない。」と話す。またそれよりも問題であることとして、「美しい日本語を日本人が失いかけているということ。」を挙げた。時代とともに言葉は変化していくものかもしれないが、あまりにも汚い言葉が横行し、日本語が乱れてきていることを危惧する。コラムニストの故山本夏彦さんが「国とは国語なり」と言ったことを挙げ、美しい言葉を使って歌ってもやがて理解してもらえない時代が来るのではないかということに強い危機感を感じているようだ。「美しい日本語を守る人がいる限り、美しい日本語は消えないと信じながら、日本人の心の風景を守っていきたいね。」と加える。

 そしてさださんは、歌作りについて、「これまで人が望む歌を歌ってきたつもりはなく、常に何を伝えたいかと自問自答しながら歌をつくり、歌ってきた」と言う。「『おかしい』と思ったことに対し『おかしい』と声を挙げることが大切であり、それがロックだ」とも。おかしいと思うことを歌ってきたさださんは「反骨が僕のアイデンティティー。」と言い、その姿勢は全く変わっていないようだ。 今後も「歌いたい歌をつくり、歌い、現実を直視しながら、今歌うべき歌を歌って行きたい」と話す。海外公演については、「翻訳に尽きる」と話し、「僕が伝えたい心の部分をきちんと翻訳してくれる人がいれば、これからもどんどん海外にも出かけて行きたい。」と意気込む。情緒的な日本の歌をきちんと理解して翻訳してくれる人に出会えるかどうかが、さださんが海外でのコンサートをする際に重要なことである。「幸い、香港では素晴らしい翻訳家が担当してくれると聞いている。歌詞やトークがどう翻訳されるかも楽しみにしてほしいね。」と締めくくった。

(撮影・協力:西日本新聞)

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