外務省は10月10日付で在香港日本国総領事館の岡田健一大使兼総領事に帰朝命令を発令し、岡田大使は総領事を離任し、香港を離れることとなった。2021年9月の着任以来約3年の香港を振り返り、インタービューに応じた。
香港で大使兼総領事を務める前は、北京、上海、台北、ソウル、ワシントンDCなどでの勤務を経て、前任地シカゴから香港へと移った。香港のあらゆる現場で、時には厳しい環境の中、岡田大使自ら指揮を執って香港政府へ積極的に働きかけるなど、粉骨砕身の思いで臨んだ日々を振り返る。
岡田大使にとって香港での勤務は初めてだったものの、外務省入省後、翌年に香港中文大学の夏季語学コースで研修し、紅●で2カ月暮らしたことがある。1989年に尖沙咀から香港島を見た夜景には日本企業のネオンサインがたくさんあり、「日本企業のプレゼンスが高い街」という思いがずっとあったという。赴任直前には民主化デモなどもあったため、どのように中国との関係を築いていくのか、香港は中国との関係について揺れているイメージもある中、コロナ禍で香港での勤務が始まった。
「香港に着任すると、あの日の夜景にあった日本企業の看板はほとんどなくなってしまっていて、こうした意味でのプレゼンスは低くなってしまっているものの、一方で目に見えないものも含め日本と香港の関係はもっと太くなっていると3年間の勤務を通じて感じた」と話す。現地で触れ合ってきた香港人については、「日本人と比較して、スピード感やフレキシビリティさがある。一方、ウエスタナイズされているので、礼節、スマートさも持っている。これを同時に併せ持っているの香港人の魅力。香港人は熱量というか活気がある印象」と振り返る。
間断なくさまざまな日本関連の文化、教育的な催しが開催される香港の中でも印象だったものに、中国本土との境も近い香港北部の上水の小さな公民館で行われた「銀河鉄道の夜」を香港の子どもたちが演じた劇を見に行ったことを思い出として挙げる。「決して大きなイベントではないが、いいステージだった。中環や尖沙咀のようなメジャーな街ではないローカルなエリアで、子どもたちが日本の宮沢賢治の作品である『銀河鉄道の夜』を熱演してくれて、先生や親が見てくれるという様子はとても素晴らしく、印象に残っている」と強く太い日本文化の浸透度の例を挙げる。
在任中の最大の苦境としては「アルプス処理水関連」なしでは語れない。香港政府はアルプス処理水が放出されたことを受け、昨年8月24日から福島、宮城、東京、千葉、埼玉、栃木、茨城、群馬、新潟、長野の10都県で収穫、製造、加工などされた水産物の輸入禁止を継続している。日本の農林水産物の最大の輸出先ともいえる香港での規制は大きな影響を与えていいるが、このことに関して、岡田大使は「IAEAという国連で原子力安全の権威である機関が2年以上かけて調べた結果『安全』と評価したものを、香港政府が受け入れなかったことはショックが大きかった」と率直に話す。
しかし、香港城市大学人文社会科学院の媒体與傳播系(Department of Media and Communication)の黄懿慧(Christine Huang)教授のチームが今年の2月19日、東京電力福島第1原子力発電所に関連する多核種除去設備(ALPS)処理水の海洋放出について発表したアンケートの中でも、処理水の問題があっても「訪日回数を減らさない」と答えた人が約6割に達するなど、日本への信頼が依然として高く、日本への信頼は崩れていない。事実、「今年の訪日香港人数は史上最高250万人を達成するのではないかと見られており、これはオーストラリア、カナダパスポートで入国した香港人の人数カウントされていなくて、ここまでいっていることは非常に大きい」と指摘する。
岡田大使は「現状の香港政府は、科学的な議論ができないという印象を受けた。ただ、香港人は受け入れている。政府の判断と市民の感覚がずれている=これが香港の苦しい現状だなということを、この一件を通しても感じた」と現状を推し量る。
日本や日本人に伝えたいことは「日本では残念ながら、香港は中国に飲み込まれているイメージがあり、1国2制度は形骸化していると言われているが、実態は極めて中国とは違う存在として光を放っている」と冷静に話す。「小さいけれども世界的に見て実はすごい街というのは、数字が表している。」と続け、9月23日に発表され最新の金融センターのランキングで、「香港がアジアトップの地位をシンガポールから奪還し、3位、しかも2位との差は1ポイント差であること」も加えた。さらに、「世界大学ランキングでトップ100に5大学が入っているのは世界の都市で香港しかない。日本はトップ200に5大学であり、人口対比から考えてもすごいことだし、魅力の一つ。このようなことを日本は知らない人が多いと思う」と例を挙げる。
先日、東京メトロの人たちが香港を視察したことにも触れ、「これは、香港地下鉄MTRは深●、北京、オーストラリアなど、世界各地で運営に携わっており、国際性、世界中にネットワークを持っているため。世界中で香港人が活躍しており、実数が少ないから見えにくいかもしれないが、これも香港の魅力の一つだと思う」とも。
さらに、「日本に対する思い入れが深いということ。日本人として香港に来てみると、日本料理店の多さを感じる。中華料理が3軒があれば日本料理が2軒あるような感覚。日本のアニメは今も評判がいい。これだけ日本を広く受け入れてくれていることは魅力の一つ」と香港における日本の存在を話す。さらに、「香港人の持っている素晴らしいネットワークに、日本コンテンツが乗っかると世界へ広がる力を持っている。日本文化、商品などを世界に広めるサポートをしてもらえたらと思っている」と続ける。
「中国との関係、世界との関係については、今中国が扉を閉じようとしている中で、中国が息をできるように、『空気の通り道』として香港はとても重要。人、カネ、情報、中国との間で行き来できる重要な窓口」と香港の重要性を語る。「中国本土に対してインプットする力をまだ香港は持っている。世界のことをよく知る香港が、いい意味でのアドバイスを香港から中国本土にしていってほしい」と思いを込める。「香港人が日本を見ている姿勢はそのまま継続されていってほしい。香港で導入されている、愛国教育、抗日博物館のようなものが悪い影響を将来に残さないことを願う。そのためには香港にいる日本人が頑張って、日本文化をさらにプロモートし、ビジネス面でも香港にプラスになっていく共存共栄の関係を築いて、教育やイメージの影響を上書きしていってほしい」と困難な状況にある香港を憂いながらも、希望を失わないようにと力を込める。
岡田大使の好きな言葉は「誠実」。「これに尽きる。いろいろなことをやる時に、誠実にやりたい、誠実にできたか、というのが常に自分の物差し」と話すように、声がかかれば、香港各地、大小問わず自ら出向き、時には香港ローカル食の店で香港人と同じ目線で香港時間を楽しむなど、香港人と触れ合いにも時間を割いていたことが思い浮かぶ人は少なくない。
心残りがあるとすれば、「広東語を完全にマスターできなかったこと」だという。「広東語の音がもともと標準語よりも好きで、着任した時には絶対にマスターするぞという気持ちでいたのだが、アルプス処理水等の対策にも時間を取られてできなかった」と少し悔しそうな面持ちで話す。「中国の唐詩は広東語のほうがより本当の音に近づけると思い興味があった。何よりも、香港人と直接広東語で話せるようになりたかった」とも。
岡田大使は離任前最後の仕事として毎年、香港と日本交互に開催する「日本香港経済合同委員会」に香港で出席した後、日本に1カ月滞在し、その後、次の赴任先へと向かう。
●=石へんに勘、●=土へんに川