香港の深水●で傘の販売と修理を行う「新藝城」が12月31日をもって183年の歴史に幕を閉じる。
現在の店があるのは茘枝角道。あごひげを蓄え、今年で73歳になる店主の「威哥」こと邱耀威さんは、深夜遅くまで傘を修理することもあったという。「深水●傘王」の名前で名物おじさんとして知られ、40年以上のキャリアを持ち、傘の修理は年間2500本に及ぶこともあった。傘を売ること以上に、「傘の教師」として生活の知恵を伝え続け、安価な「ごみ傘」が主流となる時代にあっても、修理を通じて傘を大切にする文化を守り、妻と二人三脚で「一生一傘」の哲学を体現してきた。
創業は1842年(清朝道光帝治世22年)で、威さんは5代目に当たる。祖父の時代に広州から香港に移り、戦後に深水●で傘を中心に商売を続けてきた。閉店の理由に健康上の問題を挙げながらも、店舗は賃貸で営業を続けてきたため、傘は安いものが増えていく中で、高い傘は売れなくなり、家賃は上がり続け、収入よりも支出の方が上回ることが続き、「ご飯を食べていかなければならないからね」と言葉を絞り出す。
長く店を続ける中では良い出会いも、悔しい思いもあった。40代ぐらいの人が壊れた傘を持ち込み、「この店で購入したもの」と無料で修理を交渉してきたことも。お金がかかることを伝え、了解を得て修理したものの、電話で代金が60香港ドルであると伝えたところ、「もう要らない」と電話を切られてしまったという。お金がもらえなかったことよりも、「古い傘がある人々にとって思い出や思い入れがある」と信じる威さんの気持ちが裏切られたことがつらかった。
悲しい話もある一方、うれしいエピソードもあった。ある老夫婦が「傘を直してほしい」と店を訪れた。見たところ20年以上前の傘。金具や生地の素材は時代を経て変わっていくため、最初は「なかな修理は難しい」と思った。しかし、男性が「できない訳はない」と強く訴える姿を見て、この傘への思い入れがあると察して挑戦した。そして修理が完了し電話をかけたところ、電話口で男性の「老婆!把遮整好●●!(お前の傘、直ったぞ)」と興奮した声が。この傘はこの男性が17歳のときにプレゼントしたものだったという。この話を聞いて、威さんは「こんな良い話、お金を受け取れない」と拒んだところ、そのあまりの頑固さに、客はすぐに3個ぐらいのケーキを買ってきて、「その場で食べされられたんだよ」と笑みを浮かべて思い出を振り返る。
威さんがとにかく大切にしていたことは傘のメンテナンス。「開け方・閉じ方で長持ちするかどうかは変わる」と言い、この日も質問が飛び交っていた。「傘は大事に使えば、ずっと使えるもの」と力を込める。
「古い傘を見ると、素材やのりの匂いなどで大体いつ頃に作られた傘か分かるんだよ」と威さん。商売は耐久性があるともうからないことを理解しつつも、傘を愛し修理を続けてきた。ある顧客にとっては単なる傘ではなく、人生や愛情の象徴として修理依頼が寄せられることが何よりの生きがいだった。「傘は芸術品。きれいだからアートにもなる。踊る、歌うにも合う」と雨をマイナスに捉えない姿で答える威さん。
「これからは家でゴロゴロするけど、本当に直してほしい傘があったら電話してくれたら、小さな椅子でも持ってこの場所に座ってるかな」とはにかんだ。
●=土へんに歩。●=口へんに左、口へんに拉。