香港デモを主導した学聯・周永康秘書長-単独インタビュー

「前日に髪を切った」と笑顔を見せる周秘書長

「前日に髪を切った」と笑顔を見せる周秘書長

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 79日間続いた「占領中環(オキュパイ・セントラル)」――真の普通選挙を求めて学生を中心とした香港市民が香港政府庁舎前を中心に香港内3カ所でデモを繰り広げたが、12月15日、銅鑼湾拠点の排除によりデモは収束の形となった。今回活動の中心となったのが、学聯こと「香港專上學生聯會(Hong Kong Federation of Students)」だ。このデモの先頭に立った学聯の周永康(Alex Chow)秘書長が単独インタビューに応じた。

日に日に“進化”していったデモ現場

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 今回のデモでは「タイム」誌の表紙を飾った学民思潮(Scholarism)の黄之鋒(Joshua Wong)、香港大学法学部副教授の戴耀廷(Benny Tai)などさまざまな人にフォーカスが当てられたが、周秘書長こそ本当の主役ともいわれている。香港大学で比較文学論および社会学を学ぶ4年生だ。「小さいころから本が好きで、趣味というより癖といってもいいくらい読んでいた。大学入学後、学内で配布する雑誌『学苑(Undergrad)』の副編集長をしていた」と話す。「話し好きだがシャイでもある。秘書長になるまで人前で演説したことなんて、ほとんどなかった。だってそれまで僕は本が好きな文学青年だったから」と笑う。

 12月11日、香港警察が金鐘(Admiralty)で強制排除を行った最後のとき、彼は黄色の傘を指しながら目頭を押さえていた。「いろいろな感情がこみ上げてきた。あの時は周りのみんなが歌ってその場の雰囲気が変わり、警察官の顔も見たら、あぁ、この人たちも人間なんだ、香港市民なんだと思い、同じ香港人の彼らが私を逮捕しなければならないと思うと悲しくなった」と香港人同士の対峙(たいじ)を嘆いた。逮捕されれば理由はどうあれ記録に残り、家を借りるローンや就職などで困難になることがあり得る。香港のために真の普通選挙を求めた運動で逮捕されるという意味で彼は多大な犠牲を払った。「それまでのデモなどで私たちの仲間が逮捕されていたので、私も逮捕される準備はできていた」と振り返る。

 当初、学生デモと戴教授のデモは別で、戴教授は10月1日から占拠を実施すると言っていたが実際には9月28日と数日早まった。「教授ら周りの人と話して、いろいろなシナリオを想定していたが、あのタイミングが人々の関心を引く時と判断して占領を前倒した。名前を中環としたのは、香港の経済の中心地で象徴的な意味合いがあったから」と、占領は中環ではなく金鐘にある政府前を最初から想定していたことを明かす。ただ、9月28日の催涙弾の後、銅鑼湾(Causeway Bay)や旺角(Mong Kok)に占領現場が広がったことについては学聯として指示したものではなく、「正直、驚いた」と話す。

 占拠当初は香港市民の大きな支持が後押しをし、香港政府との対話が実現した。話し合いは平行線に終わり学聯側が「2回目の対話の予定は今のところない」アナウンスした。これは自らドアを閉めたのでは?という問いに「内部でも話し合いを継続したほうがいいという意見もあった。政府は原則論に終始して、2回目をやる意味を感じられなかった」

 今回のデモで常に最前線に立っていたのは周秘書長らであり、占領中環の考案者である戴教授やデモを指示した民主派の政治家はあまり表に出てこなかった。「戴教授とはコミュニケーションをとっていて、最初からアカデミックな教授のやり方を理解していたのでOKだった。ただ、正直、民主派の政治家には失望した。たくさんのアドバイスを頂き感謝しているが、香港市民は自分の代表者として議員を見ているのだから」と、それ以上語らなかったが、民主派政治家はもっと動いてくれるだろうという期待が外れたことをうかがわせる。

 ファストファッションのジョルダーノおよび新聞「蘋果日報(Apple Daily)」創業者、黎智英(Jimmy Lai)はデモ現場にテントを張るなど積極的に支持していたが、「実は一度も話したことはない」と接触がなかったことも明らかにした。

 デモが長期化するにつれて表面化したのは、過激派などが出てきて学聯の統制が利かなくなっているようなイメージを与えたことだ。周秘書長、黄之鋒、戴教授、民主派政治家と船頭が多い印象で、真のリーダーは誰かというのが市民の目には分かりにくい面もあった。「基本的には10人から20人の間で話し合って方向性を決めた。コンセンサスができ上がるのに時間がかかることもあった」という。暴力に訴えることには賛成しないが、何もしないという意味では政府に圧力がかからない。「大同小異的なところがあり、いろいろな意味でバランスをとるのに苦労した」

 周秘書長は一連のデモに関してもしやり直すことができるのならば、10月26日、27日に3カ所で選挙しているデモ参加者による投票を直前になって撤回したことを挙げた。「あれは性急すぎた。正直、あれ以降、各方面との話し合いがしにくなった」と告白。船頭が多すぎることに加え、この撤回が求心力を失い、デモ隊に急進派が出てきた理由の一つといえそうだ。

 これからについては、「デモは終わったが本番はこれから。政府が1月から政治改革についての諮問を行うので、そういう機会を通じて意見を述べるほか、さまざまな形でプレッシャーをかけていく方策を考えているという。占領4日目には20万人が普通選挙を求めて集まったが、十分な人数ではなかった。もっと人が集まるような関心の高いムーブメントを起こしていく努力をしていかなければならない」と語った。

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