暮らす・働く

日本航空香港就航60周年-過去の客室乗務員の制服コレクションも

歴代の制服を身に纏う客室乗務員たち

歴代の制服を身に纏う客室乗務員たち

  •  
  •  

 2月5日に香港就航60周年を迎えた日本航空が同日、香港国際空港60番搭乗ゲートで記念セレモニーを行った。

60周年記念のJL736便をランプエリアで見送るスタッフ

 同航空が香港に最初に降り立ったのは1955(昭和30)年。サンフランシスコ-ホノルル-ウェーキ-羽田に国際線が開設して1年後のことで、沖縄線を延長する形で就航した。東京=那覇=香港線は週2便で開設され、当時は東京(羽田)から給油のために沖縄を経由し香港に到着するまでに約10時間を要したという。サンフランシスコ-ホノルル-ウェーキ-羽田-沖縄-香港のルートは当時アメリカ大陸に渡る華僑が利用した移民のルート。多くの中国・香港人が同路線を使い、アメリカ大陸に渡った。

[広告]

 当時は啓徳(カイタック)空港の時代で、同空港に着陸するためには急旋回や眼下に市街地、山などの地形よる風の影響などパイロットの技量が必要とされたこともあり、多くの航空関係者も香港への思い入れが強い。

 記念セレモニーでは鏡開きで香港と日本の関係を振り返りながら、過去の客室乗務員の制服を着用した乗務員が会場に花を添えた。国際線開設と同時にスタートし、1954年~60年に使われたネービーブルーの襟無しジャケットスタイルの制服、5代目、6代目の森英恵さんデザインの紺色に赤いベルトにスカーフスタイルもの、日本航空は外国人の客室乗務員を初めて雇ったキャリアであることから、採用当時は日本人と香港人との制服は異なるものを使っていたといい、会場では1966年から87に統合されるまでに香港の乗務員が着用した制服も披露された。

 セレモニーと同時に、搭乗口では過去の写真や広告などを展示。就航当時の広告には着物姿の客室乗務員が掲載されており、80年代までは一部を除く国際線では着物着用によるサービスを提供していたことがうかがえる。これはすでに同路線をノースウエスト航空やパンアメリカン航空が就航しており、資金的にも豊富にマーケティング費用を使えない中で、差別化を図る観点からアメリカ人によって考案されたアイデアだったという。

 60周年を迎え、日本航空香港支店の池田泰久支店長は「今後も日本と香港の懸け橋となり、日本の航空会社として、日本を海外に伝える世界で愛される航空会社でありたい」と語り、海外拠点として60周年を迎えたことへの感謝の気持ちを述べた。

  • はてなブックマークに追加