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7月1日、香港は返還20年を迎える 祝賀花火は終盤雷雨の中で

7月1日、香港は返還20年を迎える 祝賀花火は終盤雷雨の中で

尖沙咀に掲げられた中国と香港の旗

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 香港特別行政府(HKSAR)は7月1日で中国への返還20周年を迎えたが、1国2制度の下、世界屈指の経済都市として発展してくるとともに、意に沿わずも政治都市としての面が強くなったこの20年だった。

街中ではデモも決行

 レッセフェール(自由放任主義)の街香港は戦後、「東洋の真珠」と言われるほど急速な経済発展を遂げてきた。しかし、1997年7月1日に香港は150年に渡るイギリス植民地支配を終え中国に戻ることになった。

 1992年に就任した最後の総督、クリストファー・パッテンは植民地の香港に一気に民主主義を植え付ける政策を実施。中国政府の反発を受けながらも民主化政策を進めた。自由に経済を謳歌(おうか)してきた香港市民は1997年が近づくにつれ、今後50年までは同じ制度が続くというイギリスと中国両政府の取り決めがあっても不安に駆られ、経済に余裕がある香港人はイギリス、カナダ、オーストラリアなどに移住した。

 返還後、大きな変動は起きずこのころは中国との関係は良かった。ただし、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)が発生。加えて基本法23条に基づく国家安全条例制定問題で香港人は香港政府に対して怒りを爆発させた。2003年7月1日に行われたデモは50万人に達し、国家安全条例制定問題は棚上げされた。SARSの影響で不況に陥った香港を救うべく中国政府は香港と経済貿易緊密化協定(CEPA)を結ぶほか、北京、上海など中国の一部の都市の市民の香港への渡航自由化か認め、香港経済は回復していった。

 その中で中国の裕福層が香港のアパートを投資目的で「爆買い」を実施。すでに高かった住宅はさらに高額になり香港市民にとってマイホームは夢のまた夢になった。中国人観光客による「粉ミルク」の爆買いも発生し、一時期は品不足に陥ったほか、香港の市民権を取得しようと中国本土の妊婦が大挙して香港を訪れたり、観光客のマナーの悪さが目立ったりしたことなどから、「景気回復をさせてくれたけど、日常生活に支障をきたす」ということで複雑な感情を抱き始めた。

 2008年の金融危機は香港経済を脅かさなかったが、香港にはさらに中国人が来るようになり、香港経済は大きく失速せず、さらなる経済の拡大が続いた。それは中国人との摩擦も増加したため、対中感情がさらに悪くなった。

 そこに同じ2012年に、習近平が共産党中央委員会の総書記に梁振英が行政長官就任する。これまでの経済発展に自信を持った中国は香港の重要性が薄まっていることもあり、香港の政治体制などについてどんどん口を出してきた。梁行政長官も中央政府の意向に忠実に従った。その結果が2014年の雨傘運動といえる。

 真の普通選挙を求める運動だったが、それを主導したのは植民地下の香港を知らない若者だった。運動は失敗に終わったが、若者の一部は政党を結成。2016年の立法会選挙で当選者を出すまでになった。

 今年7月1日、香港は20周年を迎えた。習近平主席は6月29日からの香港訪問の中で香港の独立をけん制。毎年1日に行われるデモは、一時的に雨が降ったこともあり主催者の民間人権陣線(Civil Human Rights Front)の発表で6万人、警察発表で1万4500人と発表した。デモでは例年通り、民主を求める声のほか、仮釈放されたノーベル平和賞を受賞者の劉暁波さんを外国で治療を受けさせろと書かれたプラカードも多く見られた。締めくくりの祝賀花火は突然の雨。終盤は激しい雷雨に見舞われたエリアもあり、20年前を知る人は、当時も降った大雨に多くの思いを重ねている人も多かったという。

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