東京五輪の男子フェンシングフルーレ個人の試合が7月26日に行われ、香港代表で入場行進で旗手を務めた張家朗選手が返還後初、香港史上2人目の金メダルを獲得した。ウインドサーフィンの李麗珊選手が1996年のアトランタ五輪で獲得して以来25年ぶり。ここ数年、暗い話題が多い香港だったが、久々に街中が歓喜に沸いている。
この日の東京五輪は、柔道男子73キロ級で大野将平選手、スケートボード女子ストリートで西矢椛選手、卓球混合ダブルスで水谷隼選手・伊藤美誠選手が金メダルに輝いた上に、香港人選手が金メダルを獲得するなど、香港でも大きな話題を呼んでいるが、張選手が決勝へと駒を進めるにつれ、多くの人が集まり、固唾(かたず)をのんで試合を見守った。香港では、新型コロナウイルスは、世界で猛威を振るっているデルタ株も現時点では抑えられており、ショッピングモールなどでもパブリックビューイングが開かれているが、獲得の瞬間はどこも大歓声が上がった。
決勝の相手はイタリアのダニエレ・ガロッツォ選手。2015、2017、2018年の世界選手権の同種目で金メダルを獲得し、2016年のリオ・デ・ジャネイロ五輪でも金メダルに輝く。東京で2連覇を目指す大本命だった。試合は張選手が最初のポイントを獲得するもガロッツォ選手が4連続ポイントを取る。しかし、張選手も5連続ポイントを取り6対4とリード。その後は1ポイント差まで詰め寄られたが193センチの長い手足を使って終始リードを保ち、15ポイントを取って金メダルに輝いた。前回はイギリス統治下での金メダルだが、今回は香港特別行政区として初の金メダルとなり、表彰式では香港を象徴する赤地に白のバウヒニアの区旗が掲揚された。
金メダル獲得後、テレビ各局はトップニュースで報じ、ネットでも速報が流れた。李選手がメダルを獲得したのは25年前で1997年生まれ、24歳の張選手は当時まだ生まれていない。それだけの空白時間があっただけに香港人の喜びもひとしおだ。
これまでフェンシングの香港代表は、ホストタウンに決定していた山形県米沢市との交流を深めてきた。オリンピック開催前、中川勝米沢市長は「事前合宿ができなかったが、米沢市民は香港を応援している。ぜひ金メダルを目指して頑張ってほしい」と香港チームにコメントを寄せている。
2016年以降、ホストタウン登録に向けて米沢市はフェンシングが盛んな香港との提携を希望し、中川市長は2017年に香港で開催されたフェンシングの「アジア選手権」に足を運び、香港フェンシング協会の楊穎新主席に直談判したという。米沢市で香港の選手団を招いた「バウヒニアフェンシングワールドカップ」の開催や、香港ジュニアチームの合宿を行い、米沢市の中高生が香港の大会に出場するなど往来があり、2018年10月に香港フェンシング協会と米沢市は「ホストタウン交流に係る覚書」を締結した。その後2020年の冬も香港ナショナルチームが雪の米沢を訪れ、試合をするだけでなく、米沢牛や米など地元の食や温泉なども楽しむなど、オリンピックの裏側には数年にわたるこうした交流事業を通じて香港フェンシング協会との絆を育んできた。
残るフェンシングの香港代表が出場する試合は、8月1日=フルーレ男子団体が予定されている。