中国政府は4月13日から広東省深セン市の戸籍を持つ市民の香港訪問を週1回に制限することを決めた。これまで深セン市民はマルチビザを取得すれば何度でも香港に行くことができたが、日用品を買い占め、中国で転売する業者が増加。「運び屋」が増え、香港市内の小売店では粉ミルクや日用品などが品不足に陥り、価格も高騰。香港市民の間で不満が高まっていた。11日付で香港政府が報道発表したほか、12日付の香港各紙が報じた。
店では堂々と運んでもらいたい物資の価格や報酬などが提示されている
中国本土の人が香港に観光に来る場合2003年までは団体ツアーに限定され、個人では自由に香港に来ることができなかった。しかし、2003年に発生した重症急性呼吸器症候群(SARS)の影響による香港経済回復策として、中央政府は同年7月から「自由行」と称して広東省の中山、東莞、仏山、江門の4都市の市民に個人での自由旅行を解禁した。翌8月に広州、深セン、恵州、珠海の各市民にも認められ、9月には上海、北京市民も解禁となるなど徐々に対象都市が拡大。2009年4月に深セン市民に香港への数次ビザを解禁し、同市民は回数に関係なく香港を訪れるようになった。
2003年当時、中国本土からの旅行者のうち自由行が占める割合は7.9%だったが2013年には67.4%まで増加。消費額は約86億香港ドル(2004年)が12.7倍の約1098億香港ドル(2013年)まで急増した。2014年は4724万人の中国人が香港を訪れうち1485万人がマルチビザホルダー。わずか5年で10倍にも膨れ上がっていた。
激増した理由には2007年初頭に人民元と香港ドルの価値が逆転したことも要因のひとつ。中国人はブランド品を爆買いするのみならず、香港の不動産を購入。住宅価格の高騰させ香港市民に“マイホーム”の夢を打ち砕いた。加えて中国本土の妊婦が香港で出産しようとして公立病院のベッドが足りなくなる、観光地での横入り、粉ミルク、日用品などが品薄になったことなど、さまざまな面で大きな社会問題が発生した。これらが昨年秋に発生した大規模デモの遠因にもなったという見方もできる。
2015年2月から3月上旬には上水、元朗地区では中国人旅行者に対する排斥デモが発生し、逮捕者も出た。2010年の下半期ごろにはすでに上水駅横で中国人同士で粉ミルク、おむつ、ヤクルト、チョコレートなどの商品が売買されていたが、当時は今ほど品不足が深刻ではなく黙認されていたがその後拡大し、中国に商品を運ぶことで報酬を得る「運び屋」が誕生した。
香港人の商売に対する嗅覚は鋭く、背景で圧倒的な購買力を誇る中国人を対象にしたビジネスを即展開した一面もある。「莎莎(SASA)」に代表される化粧品・スケキンケア店の数は2004年と比べ15倍に、宝飾店が31%増にものぼる。これが賃貸価格の高騰を招き大資本のみが一等地に店を構え、どこの繁華街に行っても同じ店が並ぶという状況を招いている。高額な家賃の支払いが不可能になった老舗の閉店が相次いでいる。
こういった複合的要因から香港人と中国本土人の溝は深まる一方と考えた中国政府は香港市民のガス抜きまた「香港独立」の声を高めさせないため、深セン市民が香港を訪れる回数を週に1回に制限という政策に踏み切ったと言える。新聞紙上では「一周一行」と呼ばれているが、BBCの中国語版によると中国人のインターネット上では「香港人が中国本土に来ることに対しても『一周一行』にしろ」という声が上がっていると報道するなど溝は深まる一方、香港零售管理協會のスポークスマンは「香港人が中国本土人を歓迎していないと誤解され、それがほかの都市にも伝播して来港者が減少するのが怖い」と語っていたことがすでに現実となっているようだ。来港制限前の最終日4月12日にはフェイスブックで運び屋を数時間やってくれれば平均600ドルの日給を渡すという広告も出た。深セン市民は「運び屋をやっているのはごく一部。大部分の深セン市民にとって一周一行は不公平だ」と不満を表明する声も多い。