香港の新聞「アップルデイリー」が創刊20周年

6月20日付けの紙面

6月20日付けの紙面

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 香港の新聞のあり方に変化をもたらし、2014年の雨傘革命で民主派を全面的に支援した香港の新聞「蘋果日報(Apple Daily)」が6月20日、創刊20周年を迎えた。

アップルデイリーなどを発刊する親会社、壹傳媒の社屋

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 同日の発行部数は15万9000部。1面は「普通選挙制度の採決での失態」についての記事で、20周年に関するものは芸能面とスポーツ面の一部とアップルパイの作り方のレシピに限られ、ほぼ通常通りの紙面だった。

 1995年6月20日付けの創刊号には、2年後1997年の行政長官についての記事があり、香港最後の総督クリス・パッテンが同紙のプレ創刊号を手にしている写真が掲載されている。当時、新聞の価格は平均5香港ドルだったが同紙は約1カ月間、左上に3香港ドル引きクーポン券を付け、2香港ドルで購入できるようにし一気にシェアを奪いにいく戦術を取った。

 同紙が業界第2位の発行部数メディアに短期間で成長した理由として、写真を数多く使う、絵を使って説明する、カラー化を進める、ゴシップや日常会話のネタになるような記事を取り上げる、文字を大きくする、センセーショナルな見出しを立てるなど、従来の新聞とは一線を画す紙面作りに取り組んできたことが挙げられる。

 同紙の人気で廃刊に追い込まれた新聞もあるほか、最大のライバルである「東方日報(Oriental Daily)」や香港で信頼を集めていた新聞「明報(Ming Pao)」さえ同紙と同じような紙面づくりをせざる得なくなり、世間はそれを「蘋果化(アップル化)」と呼んだほど。タブロイド化が強いため、市民の信用度は高くはない一方で、他紙が後追いするスクープも少なくない。

 2003年になると同紙は台湾版の発行を始めた。新聞社としてはいち早くからウェブサイトを充実させ、2008年からは動画をふんだんに盛り込み、さらなるビジュアル化を推進している。政治的立場としては、反香港政府、反中国共産党政府だ。中国との関係を気にして中国よりのスタンスを取る新聞が増えていることもあり、それが逆に市民の支持につながっている面もある。2003年の50万人デモのけん引役の役割を果たし、2014年の普通選挙導入では、ネット動画を現場からの生中継したほか、率先して両政府を批判した。

 同紙の創業者の黎智英(Jimmy Lai)さんは製造小売業(SPA)「ジョルダーノ」の創業者でもあったことから、創刊から一定期間は赤字にも耐えられる資本力、創造的な紙面を作ることのできる人材を集めることができた。1948年に広東省で生まれ、中華人民共和国が誕生すると父親は家族を捨てて香港に逃げ、母親は労働改造所に送られ、8、9歳で妹たちを食べさせるためにお金を稼ぐ必要に迫られた。12歳のときに蛇頭(密入国のブローカー)の手引きでマカオから船に乗って香港に入る。そして福栄街(Fuk Ying Street)の衣料工場で働きながら英語の勉強をしたり読書をしたりして、学校に行けないハンデを補ったといわれる。工場のマネジャーに出世し、株の取引でも金をもうけていた黎さんは衣料工場を買収し経営に乗り出し、1981年にファストファッションのはしりですらある「佐奴丹(Giordano)」を設立した。

 1990年になると既存の媒体を買収する形で同紙の親会社である壹傳媒(Next Media)を創立。雑誌の発行からメディアビジネスを始めていく。中国政府によるジョルダーノ経営認可取り消しをきっかけに1994年に黎さんはジョルダーノを離れ、壹傳媒の経営に専念することになる。これが1995年に同紙の発行につながった。

 アップルの由来について、黎さんは「もしアダムとイブがりんごを口にしなければ世の中に罪悪も是非もなくなり、新聞も無かった」と述べている。取材、報道方法には非難が集まることがあるものの、社会の問題や矛盾を積極的に取り上げていくというスタンスを守り続ける。

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