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香港の街角アイスクリーム販売車の創業者・何敬源さん亡くなる

ソフトクリームを移動式ワゴン車で販売する「Mobile Softee」の創業者の1人である何敬源さんが亡くなった

ソフトクリームを移動式ワゴン車で販売する「Mobile Softee」の創業者の1人である何敬源さんが亡くなった

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 香港市民なら誰もが知っているソフトクリームを移動式ワゴン車で販売する「富豪雪●(Mobile Softee)」の創業者の一人である何敬源さんが亡くなったことが、2月11日、何さんの長男が香港の新聞各紙で訃告を掲載したことで明らかになった。何さんは1月23日に在住先のオーストラリア、パースで亡くなった。98歳だった。

ソフトクリーム販売車「Mobile Softee」の本社の様子

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 事業の始まりとなった「Mister Softee」は1956年、アメリカのフィラデルフィアでコンウェイ(Conway)兄弟が創業した。何さんは1969年、乳製品の製造販売を中心とする飲料メーカー「牛●(Dairy Farm)」で働いていた経験を生かし、当時、香港にはなかったワゴンスタイルのソフトクリーム販売をしようと、元同僚であるテッド(Ted Drew)さんと唐學元さんと共に起業。「Mister Softee」の香港でのフランチャイズ権を獲得した。中文名に「富豪」と付けたのは、「高級感を出そうとしたから」だという。

 起業には、何さんがイギリスを旅行したとき、アイスクリームをワゴン車で販売している光景を見たことが影響している。車両はイギリスに発注し、翌1970年の旧正月の大みそかに?湾(Tsuen Wan)の大河道(Tai Ho Road)にあったスポーツ施設前で50香港セントの販売価格で営業を始めたところ、初日から大好評だった。

 その後も人気が高まる一方で、1時間で1600個(800香港ドル)を売り上げた時もあった。1970年代は、特に事業が伸びた時期で、同社は当時の香港政庁から16台の移動販売車免許を取得し、その後、火炭(Fo Tan)に工場を設立した。この事業に同業他社が生まれなかったのは、その頃、車の販売価格がおよそ1万香港ドルだったのに対し、ソフトクリームのワゴン車は20万香港ドルと高額で資金力が必要だったことや、香港政庁は1978年から移動販売車の発行を停止したためだ。

 現在は14台体制で、うち3台は中環(Central)と尖沙咀(Tsim Sha Tsui)にあるスターフェリーのターミナル前など指定された3カ所で常駐して営業を行っているほか、残り11台は香港内を巡回している。

 販売しているのは、「香滑軟雪●(Soft Ice Cream)」「果仁甜筒(Nutty Drumstick)」「蓮花杯(Ice Cream Cup)」「珍寶橙冰(Junbo Orange)」の4種類で、ここ何年もラインアップは変わってない。その理由は、車1台に1台の機械しか載せられないため、複数のフレーバーを販売できないという実情もある。

 2008年、何さんは高齢を理由にオーストラリアへの移住を決め、「五彩企業」に事業が引き継がれた。その後、アメリカの企業が「Mister Softee」の運営権を回収したため、中国語を「富豪雪●」から「雪●車」、「Mister Softee」から「Mobile Softee」に改名した。

 SNS時代を迎え、インスタ映えするとして観光客の人気が高まっていた。2023年には男性アイドルグループ「MIRROR」の盧瀚霆(Anson Lo)さんとコラボし、盧さんの姿がペイントされた車体が3日間ほど登場するなど、話題は尽きない。

 「美しく青きドナウ」の曲が流れれば、ワゴン車が近くにいることがすぐ分かる。価格帯も含め気軽に買えるソフトクリームは、香港市民で食べたことがない人を探し出す方が難しいほど定着している。

 ●=米へんに羔、●=女へんに乃、●=草かんむりに全。

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