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松田大使兼総領事、離任決まる 香港と日本双方の社会に貢献し現行政長官初の公式日本訪問にも尽力

香港を離れることが決まった在香港日本国総領事館松田邦紀大使兼総領事

香港を離れることが決まった在香港日本国総領事館松田邦紀大使兼総領事

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 外務省は10月1日付で在香港日本国総領事館の松田邦紀大使兼総領事に帰朝命令を発令し、それを受け松田大使は11月12日に離任することとなった。香港で大使兼総領事を務める前は、ロシア、イスラエル、アメリカなどでの勤務を経て、2015年10月に在香港日本国総領事館の大使兼総領事に着任してから丸3年。苦境のときほどユーモアや気遣いを見せ、精励恪勤に奮闘した日々を振り返る。

 香港に着任した当時と帰国が決まった現在、香港の印象は大きく変わったという。元々ブルースリーなどの香港映画や本からのイメージで想像していた香港は、きらびやかな金融の街。活気があり、人々はさっそうと歩き、しっかりとお金儲けをしている印象だったのに対し、実際はそのほとんどが自然だということに感動し、「金融の大都会と自然のバランスの街」と感じたという。人間らしく、人間臭い人が多いこともすぐに分かり、日に日にポジティブな印象が形成されていったようだ。早朝や週末には山をトレッキングで楽しんでいたという。

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 ビクトリアピークの一般の観光客が訪れるエリアのまだその先の標高約500メートルに位置する総領事公邸「耕雲草廬」は、1900年建造の洋館を1970年代に日本政府が購入した英国式の建造物。公邸から眼下に広がる香港は、朝日の出に合わせて頂上から見下ろすと「筆舌に尽くしがたいきれいさがあった」という。霧が深い日も雨上がりの日も空の下に後光が差すように光が末広がりになるなど、さまざまな顔をのぞかせてくれたようだ。

 松田大使はこれまで着任した国やエリアと香港を比較して、「人のスピード感が違うと感じた。物事を決めるときのスピード。人と人の距離を縮めるはやさ、慣れるとこれはこれで気持ちがいいが最初は戸惑った」と着任当時を振り返る。午前中「初めまして」とあいさつをする、そこで話が盛り上がり、夕方にはメールが来る。Yesであればその場で即決。NoであればどうしたらYesになるのかを即答しなければいけないシチュエーションもしばしばだったようだ。

 松田大使が旗を振って香港市民や在留邦人にとって近い距離で存在感を見せたのは、「日本秋祭in香港」の開催が分かりやすい例である。元々日本のイベントは多く開催されてきたが、フランスが5月を「ル・フレンチ・メイ(Le French May)」と冠を置き多くの行事を展開し、50年以上にわたって香港に毎年存在をアピールする一方、日本のイベントは年間を通じて大小さまざま開催されてきた。これを秋に集中期間として「秋祭」とくくることで、より大きな枠組みでのアプローチを実現させ、日本ファンの香港市民を喜ばせ、在留邦人も何らかの形で活動に協力しようと意識を一つにする形になってきている。このスキームの発想は着任当時の3年前、当時の政務長官だった林鄭月娥(キャリー・ラム)現行政長官を表敬訪問したときの彼女の言葉にきっかけがあるという。「日本と香港は経済関係もますます深くなってきている。ただ一方で昔に比べて文化的なプレゼンスが少し落ちている気がする」と初対面でヒントを投げ掛けられた。キャリー・ラムさんの幼少期、また学生のころに比べて日本のエンタメが少なくなっているという言葉に危機感も感じ、日本の映画がとにかく好きなキャリーさんの希望をかなえようと、日本の作品を組み込むことも実現させた。

 それ以外にも年間500を越えるイベントや行事への出席の中で、松田大使のあいさつはいつも愛情にあふれ、ユニークさがあった。香港はその土地柄、また日本との関係もさまざまな業種レベルでの交流があり、金融についての国際会議もあれば、化粧品業界、若者の前であいさつをしなければならないシチュエーションもあり、その場その場に応じた言語と話の内容で、聴衆を引きつけていた様子は多くの人の記憶に残る。香港で時折起こる事前の依頼が無かった現場でのあいさつを求めらたときにも、にこやかな表情で登壇する姿が印象的だった。

 松田大使は香港で印象に残る場所を、公邸のあるビクトリアピーク以外にランカイフォンとifcモールを挙げる。ifcは松田大使にとって休憩時間があればスーパーマーケットで売られる日本産品などを眺めたり、ファッションや新しい店など香港らしく日々変わる様子を目の当たりにしたりと、歩いているだけでも楽しかった場所だという。そんなifcモールではアメリカ時代の知り合いに会うことも多く、この偶然に会う回数も香港らしさを象徴していると感じたようだ。ランカイフォンは最も深い友人の一人となったランカイフォンの創設者アラン・ジーマンさんとの思い出も多い。最初は香港人に連れられて、「香港なのに懐かしい感じがした」というこのエリア。六本木、西麻布、またその少し裏通りの方を通るような感覚があり、多国籍の人が集まり騒ぐ雰囲気にどこか懐かしさを感じたというが、それもそのはず、ランカイフォンの父ともいわれるアラン・ジーマンさんは東京の一角を参考にこのエリアをプロデュースしたことは知られている。「多国籍で多くの人が騒いでいても安全な場所。香港の中の日本、東京があるような気がする」と付け加える。

 在香港日本国総領事館はマカオも管轄区域とするが、在任中にカジノを含む統合型リゾート施設(IR)開発・運営に携わる専門人材を育成するプログラムの発展のためにも尽力した。「マカオには世界からたくさんの観光客を集めるためのホテル、レストランもろもろのシステムがあり、大学などの教育機関でも専門のプログラムを設定していることも多い。将来観光が日本の中でも産業として発展していくためには、日本の現状はまだ不十分で参考にできることがたくさんある」とマカオの重要性についても語る。

 「香港という経済的にも重要であり、距離的にも日本から近い場所であることで、香港にいる間に本当に多くの日本からの政治家、文化人、芸能人、時には中学生、高校生の若者とも香港で出会えた」と日本に在住の時よりも多くの年代、多くの地域の人に出会えたことに熱い思いを抱く。「自分の国の日本人と香港だから会えるという感覚になり、自分の故郷福井と、大学から出た東京以外に日本各地ともたくさんの出会いがあった」と話し、「今後の日本の経済は、地方の活性化があってこそ。日本各地の地方が世界と直接つながれる場所、なので香港をパートナーとするべき。世界にはばたきたいと思っている人は、個人でも企業でも自治体でも香港という場所に来ていただくことを勧める」と声を強める。

 「香港には変わらないものと変わらざるを得ないものがある」と松田大使は話す。変わらないことは、香港に吹き寄せられてきた外国人を含めた人が地元の香港人と織りなす雑多な多様な感覚、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)して作り出すこのオープンな文化は変わらないと考える。「一方で、現在の金融、物流、貿易に依存をしてきた経済、一部の人に富が集まり、その不動産の利益で回る社会の仕組みというものが変わらなければ、今後の香港の発展は望めないかもしれない」と加える。「その対策として土地問題を訴える人、その場の対処療法の施策を打つ人さまざまいるが、金融、物流に加えて、イノベーション、科学技術の分野など新しい分野の発展のために努力し、現在の社会構造は変わらざるを得なくなっていくのでは」と香港の将来を憂う。

 松田大使の座右の銘は、大使が大学入学を前に福井から旅立つときに父親から贈られた言葉「得意淡然(とくいたんぜん) 失意泰然(しついたいぜん)」。中国の明時代に崔後渠(さいこうきょ)が書いた『六然(りくぜん)』からの引用だ。物事がうまくいっている時には淡々と振る舞い、逆に失意の時には、ゆったりと構えるべきであるという意を表す。日々刺激的で変化の多い香港の中でこそ、この言葉の重みが感じられる瞬間は多いのではないだろうか。松田大使が思う香港の夢、在留邦人へのメッセージは「香港で働く人、在留邦人が香港における客としてではなく、香港の長所と短所を理解して、香港の変化に貢献する人になること」だ。「イノベーション、科学技術の分野には大きなチャンスがある。魅力的に溶け込んでいき、香港社会を織りなす歯車になってほしい」と願う。「文化面や芸術面での力を発揮して、香港に寄り添って長所を伸ばし、短所を直す人になってほしい。香港を自分の家として感じることができる人になるように期待している」と応援の言葉を添える。

 松田大使は離任前の仕事として、11月1日に東京で開催される大型シンポジウム「think GLOBAL, think HONG KONG」出席のため、就任以来初の日本公式訪問をするキャリー・ラム行政長官への同行を予定している。