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創刊25周年の「アップルデイリー」 創業者・黎智英さん逮捕で通常の6倍、55万部を印刷

25周年を迎えたアップルデイリーは黎智英さんの逮捕で大きく部数を伸ばす

25周年を迎えたアップルデイリーは黎智英さんの逮捕で大きく部数を伸ばす

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 2014年の雨傘革命、2019年の逃亡犯条例改正案を通じ、民主派の新聞として知られるようになった「蘋果日報(Apple Daily)」は今年で創刊25週年を迎えているが、これまでになく財政が厳しいほか、創業者の黎智英(Jimmiy Lai)さんが何度も逮捕されるなど経営環境が難しい局面を迎えている。しかし、11日付の同紙は従来の6倍となる55万部を印刷し売り切れる販売店が続出した。

2014年雨傘運動の最終日、他の民主派の政治家と一緒にデモ現場に座り込みを行った黎さん

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 香港警察は8月10日、黎さんのほか活動家の周庭(Agnes Chow)さんら10人を香港国家安全維持法違反の容疑で逮捕した。同日、香港警察は200人規模で蘋果日報を家宅捜索し約25箱分の資料を押収している。黎さんはファストファッションの「佐奴丹(Giordano)」とメディアという全く異なる2つの企業を成功させたという意味では、音楽のヴァージン・レコードと航空会社のヴァージン・アトランティックを設立したリチャード・ブランソンと並ぶ稀代の名経営者といえる。

 タダで転ばないのが蘋果日報の強さとも言える。スマートフォンなどを利用して家宅捜索の様子のみならず、校閲の様子、印刷の様子などもインターネットでライブ中継。SNSで支援の購入を呼び掛け、2020年3月期の決算によると発行部数1日平均8万8685部だが今回は55万部を印刷し、多くの販売店で売り切れた。加えて、11日の香港株式市場において同紙を発行する「壹傳媒(Next Digital)」の株価は前週末7日の終値と比べて183%増の0.255香港ドルで取引を終えた。同紙を応援しようとする個人株主が購入したと思われる。

 1995年6月20日付の創刊号(全53ページ、15万9000部を印刷)は「アップル前、アップル後」と言っていいほど香港の新聞業界のターニングポイントになった。紙面では従来では考えられないほどの大きな文字を使い、センセーショナルな見出し、写真や挿絵、図表をふんだんに使って分かりやすく説明するほか、年を追うごとにどんどんカラー化を進め、従来の新聞とは一線を画した。タブロイド的な新聞でもあったため人気を呼び、発行部数を一気に伸ばした。

 あまりの人気ぶりに他紙の売り上げが落ちて廃刊に追い込まれた新聞もあったほか、最大のライバルである「東方日報(Oriental Daily)」や香港で最も信頼されていた新聞「明報(Ming Pao)」さえ蘋果日報と同じような紙面作りをせざる得なくなった。世間ではそれを「蘋果化(アップル化)」と呼んだ。創刊当時は人に興味を引くような紙面=タブロイド化している面もあるため市民の信用度は高くはない一方、他紙が後追いするスクープも少なくなかった。壹傳媒としては、食の都・香港を理解し「飲食男女(Eat and Travel Weekly)」という香港人の食のバイブル的な雑誌を発行(現在は紙媒体は廃刊、ウェブ版に移行)するなどアイデアにあふれる媒体でもあった。

 紙媒体を出自としながら、デジタル化の重要性はよく認識しており、画質が悪かったり、ネット回線が不安定だったりしても、スマホを使ってどんどん現場からネット中継をするほか、電子版については見出しと本文の間に記事の概要をまとめた動画を入れるなど、クオリティーが悪くても現場を知ってもらう方が大事と考える香港人のニーズに応えた。

 香港中文大学傳播與民意調査中心が実施した2019年の新聞に対する信用度で蘋果日報は5.71となり、トップの5.72の明報に続いて2位に位置する。タブロイド的な扱いをされてきた同紙が信用度を一気に高めたのが2014年の雨傘運動。ここで同紙は大々的に雨傘運動を支援する論調を張ったためだ。雨傘運動の最終日は創業者の黎さんは他の民主派の政治家と一緒にデモ現場に座り込みを行い逮捕されている。

 一方、経営環境は厳しさを増している。2007年の売り上げは37億8,400億香港ドル、利益が5億2,100万香港ドルを最盛期に減少を続け、2020年は同11億5,800万香港ドル、4億1,500万香港ドルの赤字を計上した。要因は、民主派とされることで、銀行や大手デベロッパー傘下の有名企業が中国政府との関係を意識してか、ほとんど広告を出稿していないなど、広告収入に大きく頼れないビジネスモデルが大前提にある。さらにネットが発達し活字離れが起こった。発行部数を比較しても10年前の2010年3月31日期では30万3047部であることから、現在の落ち込みは経営を直撃したのは明らかだ。

 創業者の黎さんは、若いころに福栄街(Fuk Ying Street)の衣料工場で働いたノウハウを生かして1981年にファストファッションのはしりですらある「ジョルダーノ」を設立した。ユニクロのブランドを展開するファーストリテイリング・トップの柳井正さんが1980年代半ばにジョルダーノの製品が自分の作っているシャツより低価格なのに高品質であることに驚いて面会し、感銘を受け、ユニクロのビジネスモデルに影響を与えた話は有名だ。

 1989年の天安門事件では抗議の意味を含めたTシャツ20万枚を寄贈し、民主を応援する姿勢を明確にしたことがきっかけで民主派の政治家との接触が多くなっていく。翌1990年になると既存の媒体を買収する形で蘋果日報の親会社となる壹傳媒を創立し、「壹週刊(Next Magazine)」という雑誌の発行から始めた。黎さんを快く思わない中国政府は1994年、中国で100店舗以上の店を出していたジョルダーノに対して経営認可を取り消したため、自分の会社を救うため黎さんは自らジョルダーノを退社し壹傳媒の経営に専念することになり、翌1995年に蘋果日報の発行につながった経緯がある。

 11日は多くのコンビニ、新聞スタンドで行列ができたり完売するなど、買うことで支える動きがどこまで続くのか、25周年を迎えた同紙に大きな関心が集まっている。

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