香港の市区重建局(URA)の董事会は2月8日、現在改修中の中環(Central)にある「中環街市(Central Market)」(80 Des Voeux Road, Central, Hong Kong)について、大手デベロッパーの華懋集団(Chinachem Group)の子会社「貴益(Noble Vantage)」が運営を担うことを批准したと明らかにした。早ければ今年の第3四半期にオープンさせたいとしている。
政府は2009年、中環街市の再活性化にあたり香港市民に緑を提供する方針を掲げ、2009年~2011年の間、香港市民の意見を広く聴くなどして2015年にURAが活性化に向けた設計を公布。2016年3月に城市規制委員会(Town Planning Board)が設計法案を批准した。2017年に工事を始め、2021-2022年度に全て完成することを計画している。
政府は完成した中環街市を民間に委託するが、「親」=歴史的建造物という独特の個性を生かしつつ、保全をしながら市民に公共空間を提供し、コミュニティーの集いの場となる、「動」=多様なコミュニティー空間や活動を通して街市に活力を入れる、「融」=さまざまな市民の生活ニーズを満たすために、手頃な価格の料理、商品、文化施設を提供するという3つのテーマで運営することを求めた。ヒルサイド・エスカレーターに接続し、24時間、人の流れが途絶えないことを想定し、公共空間は1000平方メートルを確保。公衆トイレも完備する。
昨年9月、3つの事業計画が提出され、精査の結果、華懋の子会社を選んだ。契約期間は10年間。同社は「21世紀のMarketplace」となる設計を行い、新時代の文化と生活を反映するランドマークにすると意気込む。
街市の歴史をたどると、1841年、イギリス軍が香港島を接収したが、初代は現在の皇后大道中(Queen’s Road Central)を挟んだ正面に建てられ(Don Don Donki中環店がある辺り)、1842年6月10日に開業した。
1850年ごろに現在地に第2代目が建設されたが、当時はその北側の徳輔道中(Des Voeux Road Central)=トラムが走っているところが海岸線だった。1851年に太平天国の乱が発生し中国が混乱。大量の中国本土の人が香港に流れてきたこともあり、街市はさらに発展した。
その後、香港政庁は大規模な埋め立てを行い、徳輔道中(Des Voeux Road Central)が海岸線ではなくなったが、1889年に徳輔道中を挟んだ向かい側の新しい埋め立て地、現在の恒生銀行本社がある場所で3代目の街市の建設が始まり1895年に完成した。レンガや大理石を使い、外観は上環(Sheung Wan)の西港城(Western Market)のような建物だった。
時は進み3代目は1937年に取り壊され、4代目、つまり現在の中環街市が2代目の位置=現在地に戻り、1939年に完成した。日本の香港統治時代には「中央市場」と呼ばれていた。1960~1970年代は、この辺りにあった住宅がどんどん取り壊されオフィスビルが建ち並ぶようになり、街市の衰退が始まった。1973年からスーパーマーケットがあちらこちらで開業したことも拍車をかけた。
香港政府は1990年、同市場を3級建築物に指定した。半山区(Mid-Levels)の住民の利用を促すためヒルサイド・エスカレーターの起点・終点となる工事を行い、1994年に完成。建物内部の一部をショッピングアーケードに整備したが大きな改善には至らず、2003年に街市のほとんどの部分が営業を停止した。