尖沙咀(Tsim Sha Tsui)の天星小輪(Star Ferry)ふ頭すぐ横にあるに時計台「尖沙咀鐘楼(Tsim Sha Tsui Clock Tower)」が12月9日18時に71年ぶりに鐘を鳴らす。1921年に初めて鐘を鳴らしてから100年を記念してのものだ。
高速鉄道以外に香港と広州東や北京などを結ぶ「港鐵城際直通車(MTR Intercity Through Train)」は、紅●駅(Hung Hom Station)駅を起点・終点としているが、元々は尖沙咀鐘楼の隣にある文化中心(Cultural Centre)や太空館(Space Museum)の場所にあり、「九龍總駅(Kowloon Terminus)」と呼ばれていた。
港鐵城際直通車は、かつては「九広鉄路(KCR)」と呼ばれ、アヘン戦争に勝ち、香港を手に入れたイギリスだが、清朝との交易は依然として活発で、物流網の整備のために鉄道の敷設を計画したもの。両政府は合意し、1905年、プロジェクトは本格稼働した。これには、香港上海匯豊銀行(HSBC)とアヘン戦争を実質仕掛けた怡和洋行(Jardine Matheson)が大きく絡んでいる。
鉄道は1910年10月1日に香港側が先に開通したが、九龍總駅自体は1913年から建設を開始し、部分的な開放をしながら最終的に1916年3月28日に正式に全面完成した。鉄道と時刻を表す時計はセットで、九龍總駅の建設に合わせて尖沙咀鐘楼の建設も進められ、駅舎より1年早い1915年に完成した。当時は現在のようにプロムナードはまだ存在していなかったため、駅舎と鐘楼はもっとビクトリアハーバーに近い場所に建設されていた。
香港を代表するホテル、ザ・ペニンシュラが現在地にホテルを建設したのは1928年だが、商才あふれるユダヤ系の血を引くバグダッド生まれのElly KadoorieとEllis Kadoorieのカドーリー兄弟が、九龍總駅を利用する鉄道客と尖沙咀に寄港する大型客船を見込んで開業させたもの。今のホテルの低層階の「コの字型」の部分は7フロアあるが当時は香港で最も高い建物だった。
その後、香港政庁は九龍總駅の紅●地区への移転を決定し、1975年11月に九龍總駅として引っ越した。1998年のエアポートエクスプレスの開業時に九龍駅(Kowloon Station)が新設されたため、混乱を防ぐために九龍總駅から紅●駅に改名されている。
九龍總駅跡地には文化中心や太空館の建設する事が決まり、九龍總駅と尖沙咀鐘楼は解体される予定だった。当時の香港人は保存運動を展開したものの香港政庁は拒否。香港市民は諦めずに1万5000人分の署名を集めてエリザベス女王に請願。それが認められて鐘楼は残り、1978年に九龍總駅は解体されたものの、駅舎に使われていた石柱の一部は尖沙咀東(East Tsim Sha Tsui)の市政局百周年記念花園(The Urban Council Centenary Garden)に移設されている。
鐘楼の高さは44メートルに7メートルの避雷針があり、赤レンガと御影石で作られている。鐘楼が完成した翌年の1916年から時を刻み始めたが、鐘は当時なかった。鐘は1919年に鋳造され、1921年3月になると現在のように4方向に時計が設置されるのと合わせて鐘も鳴るようになった。時が進み1950年になるとモーターを使って時計が動くようにしたが、精度の問題から4つの時計に少しずつずれが生じ、鐘とも同期しなくなってしまい、鐘が上手に鳴らせなくなったことから運用を停止していた。
その後、鐘は1976年に紅?駅で展示され、1984年沙田駅(Shatin Station)、1995年に火炭駅(Fotan Station)にあったKCRの本社ビルに移設されていたが、2010年に鉄道開始100周年を記念して鐘楼内に保存されていた。なお、鐘楼は1990年に法定古跡に指定されている。
今回、71年ぶりということもあり、多くの香港市民が初めて鐘の音を聞くことになる。鐘の音色はEフラット、可聴周波数は623ヘルツ。併せて12月10日~24日、文化中心で鐘楼の展覧会を開く。入場無料。
●=石へんに勘