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香港でアニタ・ムイの映画がヒット 命日の12月30日はトラム乗車が無料に

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 香港で11月12日に公開された映画「梅艶芳(Anita)」の大ヒットを記念し、同作品を配給する安楽影片(Edko Films)は梅艶芳(アニタ・ムイ)の命日の12月30日にトラム乗車を無料にすると発表した。同作は、2003年12月30日に子宮頸がんで亡くなったアニタ・ムイ(享年40)の生涯を描いた映画で、タイトルも「梅艶芳(Anita)」そのもの。12月26日現在の興行収入は6,000万香港ドルを超えた。中文映画において、2021年の年間興行収入、1日当たりの興行収入、年間のチケット販売数、過去5年間におけるチケット販売数などの記録を塗り替え、香港市民の9人に1人が同作を見たというデータもある。

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 安楽影片は香港トラムウェイズ社(Hongkong Tramways Limited)と話し合い、アニタ・ムイの命日に「彼女のからの贈り物」としてトラムを終日無料とすると発表した。映画チケット3枚分を購入し、その半券や必要事項をに送った人の中から抽選で、当日11時からパーティー用貸切トラム車両を利用し、主演の王丹●(ルイーズ・ウォン)さん、梁楽民監督と一緒にトラムを乗るツアー参加権も当たる。

 アニタ・ムイは香港の芸能史の歴史の中で不世出のエンターテイナーの一人だ。家計を助けるため、4歳からMTR美孚駅(Mei Foo Station)の北側にあったテーマパーク茘園(Lai Yuen)で歌を歌ったりしていた。18歳の時に無線電視(TVB)が主催した第1回の「新秀歌唱大賽」に参加。後に黎明(レオン・ライ)、鄭秀文(サミー・チェン)、陳奕迅(イーソン・チャン)など多数のアーティストを輩出する大会だが、アニタ・ムイはこの大会でチャンピオンとなり、歌手デビューする。コニカ(現コニカミノルタ)や花王がアニタ・ムイのコンサートのスポンサーになっているほど人気があり、歌唱力だけではなく、表現力もあるほか、衣装にもこだわるなど、その後の歌手に大きな影響を与えた。女優としても活躍し1988年の金像奨では「●脂扣(Rouge、邦題:ルージュ」で主演女優賞を受賞するなど女優としての才能もあった。

 映画では、幼少期の話、なぜ英語名は「アニタ」にしたのかというエピソード、近藤真彦さん(映画では後藤夕輝という名前で登場)とのロマンス、昔は興行という意味で芸能とマフィアは切っても切れない関係にあったがアニタ・ムイと映画会社とのトラブルと、それに関わるマフィアの話、がんとの闘病など、アニタ・ムイの生涯について丁寧に描くほか、銅鑼湾(Causeway Bay)にある改修前の利舞臺(Lee Theatre)など当時の香港の様子も分かる。

 アニタ・ムイの伝記映画の製作に当たっては、香港人にとってのその存在感から見て、失敗は許されない状況とも言えた。主演のルイーズ・ウォンさんはモデル出身だが、演技や歌の経験は無かったため映画製作班はほぼ「チーム・ルイーズ」的なものを結成し、半年にわたり、歌・踊りのレッスンを行った。特に演技に関しては今年3月に亡くなった名優、廖啓智さんなどが演技指導を行い、ルイーズさんも彼に感謝の意を述べている。アニタ・ムイは目鼻立ちがはっきりした顔だが、その中でも中華系にあるタイプのくっきりした顔立ちで、日本人にはあまり見られない顔。ルイーズ・ウォンにはアニタ・ムイの面影がかなり残り、映画によりリアル感を出している。プロデューサーの江志強さんは「グリーン・デスティニー」などを手掛けているが、ルイーズ・ウォンの発掘はプロデューサーのとしての眼力を見せた。

 映画では、日本がかなりのシーンで登場する。前述の近藤真彦さんとの話だけではなく、坂本九さんや山口百恵さん、加藤登紀子さんなど、日本の歌も多数、織り込まれた。特に1980年代以降の香港の音楽業界は日本語のカバー曲が多く、アニタ・ムイ自身も、山口百恵さんの「ありがとう あなた」、近藤真彦さんの「夕焼けの歌」などをカバー。映画では夕焼けの歌が流れる。ほかにも、バブル経済の日本が香港に進出したことで香港社会や文化に日本が浸透していく様子など、コロナ前までは年間や約200万人に香港人が日本を訪れていたが、なぜ「親日都市」になったのかという要因が分かる内容に仕上がっている。

 香港にとって2003年は、重症急性呼吸器症候群(SARS)、基本法23条に関する50万人のデモ、張国栄(レスリー・チャン)の自殺など激動の年で、アニタ・ムイの急死は2003年の最後の最後に届いた大きなニュースだった。悪夢の2003年を乗り越えた翌2004年からはリーマンショックで一部停滞はあったものの、それを除けば2019年の逃亡犯条例改定案に端を発するデモを迎えるまで、ほぼ一本調子で右肩上がりの経済成長を迎えていく。そうした意味でも、アニタ・ムイが亡くなった2003年は、香港の一つのターニングポイントであることも分かる映画だ。

 ●=女へんに尼 ●=月へんに因。

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