![12日にセントレジス香港で開催された香港でのレセプション](https://images.keizai.biz/hongkong_keizai/headline/1739440781_photo.jpg)
日本航空(JAL)は、香港就航70周年を迎え、2月12日、セントレジス香港で70周年記念式典を開催した。香港式のレセプションには117人が参加し、ライオンダンス、歴代の客室乗務員の制服ショ-、ラッキ-ドロ-などで盛り上がった。
同社はコロナ明け以降、香港市場でも順調な業績を維持している。香港便は同社の増収にも貢献。日本から香港への出張者は減少傾向があるものの、その枠を訪日旅行、ビジネスをする香港人が埋めている。香港人と日本人の割合は、成田便は85%で、羽田便でも50%以上が香港人の利用となっている。
香港支店は1954年にペニンシュラホテルの109号室で業務を始めた。その後、同航空が香港に最初に降り立ったのは1955(昭和30)年2月4日のこと。初の国際便であるサンフランシスコ-ホノルル-ウェ-キ-羽田便が就航して1年後、沖縄線を延長する形で就航した。東京-那覇-香港便は週2便で開設され、当時は東京から給油のために沖縄を経由し香港に到着するまでに約10時間を要したという。多くの中国・香港人が同路線を使い、アメリカ大陸に渡った歴史がある。
これは、同路線がサンフランシスコ-成田の001便に次ぐ、香港-成田-サンフランシスコの002便であったことからも分かる。サンフランシスコからの001便が香港に伸びた形のため、「001便、002便というと香港のイメ-ジが強い」と日本航空香港支店の速水孝治支店長は語る。香港路線は、就航後さらにバンコクやシンガポ-ルに延長された経緯があり、JALにとっては「アジア進出の足がかり」ともいえる存在。当初から東南アジア-日本-北米の乗り継ぎも意識されており、アジアと北米を結ぶ役割も果たしてきた。
70周年を祝う香港便のゲ-トには多くの香港人の笑顔があった。速水支店長は「『おめでとう』と声をかけてくれ、70周年の記念品のタオルを胸の前で見せてくれる、無邪気に一緒になって喜んでくれる気質、温かさを感じた」と話す。
香港での客室乗務員の採用も100期まで到達した。101期の乗務員も乗務を始め、初めてチ-フも登場。日本の航空会社には厳しさもある中、着実に応募があり、「しっかりと良いスタッフ採用ができている」という。
JALでも機材数の課題などがありながらも、香港には季節ごとに今後も増便も計画する。「コロナ期間中、どこにも行けなくて、コロナ明けに需要が大爆発。香港人のすごいところは、もうその後、4、5回日本に行っている。直近の2024年訪日香港人が268万人を超えていることからも分かる通り、ポテンシャルがある。非常に重要なマ-ケットであると認識している。香港人が日本を愛してくれている限り、ビジネスを続けていかなければいけない」と話す。
香港人はコロナ後もいち早く主要都市以外に足を向けた。国内便を使って旅行している人も多い。「そのポテンシャルをしっかりつかんでいく。自分が行きたい地方都市には乗り継いでも行っている。地方が活性化することが日本の元気につながる」と速水支店長。
旧正月にも7日間の増便を実施したが、この春の桜の時期も既に深夜便の運航を決めている。香港人は深夜便のメリットも生かす客を乗せて羽田に到着するため、羽田で乗り継げば、到着した日の午前11時までに全ての地方空港へ到着する。
今後も同社は、「香港は大湾区構想の一環としてマ-ケットを面で捉えていく必要がある」とする。「しっかりと華南地区のお客さまも取り込んでいきたい。乗り継ぎを便利にするという香港国際空港の動きと足並みをそろえていきたい。しっかりと香港の真実を知る立場として、本社また日本にメッセ-ジを発信していく。日本から香港へのお客さまも戻していきたい。そうすることでビジネスも盤石になる」と速水支社長は話す。
「積み重ねた歴史の重さを忘れることなく、お客さま、パ-トナ-、協力会社、スタッフに支えられてここまでやってくることができた。それを途絶えさせることなく、良いサ-ビス、香港と日本の架け橋であることを約束したい。感謝をしながら、責任も感じている」と結ぶ。