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ブルース・リーの邸宅、取り壊しへ 博物館としての活用かなわず

長年ラブホテルとして使用されていたブルース・リーの邸宅

長年ラブホテルとして使用されていたブルース・リーの邸宅

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 カンフー映画の世界的スター俳優の李小龍(Bruce Lee / ブルース・リー)が高級住宅街の九龍塘(Kowloon Tong)に所有していた邸宅が、8月の最終週に取り壊される方向であることが分かった。

 中華系の両親がアメリカ滞在中の1940年に生まれたブルース・リー。香港に戻り幼少期から18歳までは香港で育ち、その間に中国武術の一つである詠春拳を学ぶ。その後、シアトルに渡米し道場を運営しながら俳優業を始める。1970年には香港最大の映画会社だった邵氏兄弟(香港)Shaw Brothers (Hong Kong)の幹部だった鄒文懷(Raymond Chow)が独立して設立させた嘉禾娯樂事業(Golden Harvest)と契約し、香港に再び戻ってくる。

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 邵氏兄弟の総帥で、後に無線電視(TVB)を作ることになる邵逸夫(Run Run Shaw)で、ブルース・リーと契約交渉をしていたが、高く評価せず契約を結ばなかったことは有名な話だ。

 ブルース・リーは嘉禾娯樂の1作目の「ドラゴン危機一髪」がヒットし、あっという間に香港のスターダムにのし上がる。順調にキャリアを重ねたものの、1973年に謎の死を遂げる。ブルース・リーの死後に公開された「燃えよドラゴン」は世界的なヒットとなり、その名は世界中に広がった。

 ブルース・リーの自宅は「棲鶴小築」という愛称で知られ、2階建てで5343平方フィート。ブルース・リーが亡くなった1973年7月までの約9か月間住んでいた。赤いソファが置かれた大きなリビング、書斎のほか、絵画、置物、ステレオなどもあった。トレーニングジムも完備していたほか、庭には小さな池があり、そこに橋が架かっていた。隣は同じく香港映画の大スター、周潤発(Chow Yun-fat / チョウ・ユンファ)さんが所有する家がある。

 ブルース・リーの死後、実業家でボランティア活動家としても有名な余彭年に売却された。そして「羅曼酒店」という名前のラブホテルとして約40年使われていたことはファンや香港市民の間では知られている。

 余彭年は2008年に博物館として再活用することを条件に政府に寄贈する予定だったが、政府との意見の相違から計画が白紙に。同じ2008年に四川省で大地震が発生した際は、住宅を売って寄付しようとしたが、その時はファンクラブなどからの声もあり売却を中止している。余彭年は2015年に死亡し、親族が「余彭年慈善信託管理委員會」という資産管理団体を引き継いでいた。

 ラブホテルが廃業した後、管理委員会はラブホテル時代の内装を取り外し、外壁の内側のモザイク壁画は残し、かつ建物自体は取り壊さない修復を行っていたが、鉄筋や梁(はり)の一部が外にむき出しになるなど劣化が激しく、ラブホテルに改修した際に行ったと思われる違法建築の部分が発覚するなど、5億香港ドルという高額な修復費用が掛かることから取り壊すことを決めた。取り壊し終了後は、2020年中に教育施設の建設を始める計画になっている。

 新しくなった星光大道(Avenue of Stars)ではブルース・リーの銅像が目玉の一つになっているだけに、ブルース・リーのファンクラブ「李小龍會(Bruce Lee Club)」は、「邸宅を活用すれば観光に役立つ」として、香港政府の対応を求めていたが実らなかった。

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