林鄭月娥(Carrie Lam)行政長官は10 月6日、施政方針演説を行った。5年の任期最後となった施政方針は例年通り、住宅、金融、環境、文化芸術など幅広い分野をカバーしたが、特に住宅問題のこれまで以上に重点を置き、新界(New Territories)北部の開発に力を入れ250万人が住む一大エリアを建設させたい考えだ。
2020年の施政方針演説は2019年逃亡犯条例改定案に端を発したデモから2020年の新型コロナウイルスの感染拡大などの混乱を受け、中央政府と協議をしたため11月下旬までずれ込んだが、今年は例年通りのスケジュールとなった。
政治では、基本法23条に基づく国家安全条例の制定を目指すとした。この23条に基づく条例は法制化を義務付けられていたが2003年の50万人デモで棚上げされていた。しかし、2020年6月に施行された香港国家安全条例で運用できない部分を補完させるため法制化に動く。反乱をあおる行為やフェイクニュースの規制などが盛り込まれると見られている。
施政方針演説を見ると、政治面では厳しい対応をするが、経済成長をしなければ香港の存在意義が失われるため経済を回すための政策には腐心。そうした意味で「シンガポール化」の方向に振っているのが鮮明となった。
逃亡犯条例のデモが起きた原因は、民主の面だけではなく長年解決されない住宅価格の高騰という現実が市民の不満として表面化した。このことを香港政府は認識しており今回は重点的に住宅問題解消に向けての政策に重点を置いた。
まず、今後30年で新界北部を中心に14カ所、合計4100ヘクタールの土地を開発する。特に「北部都會區發展策略(the Northern Metropolis Development Strategy)」という計画は、元朗(Yuen Long)や上水(Sheung Shui)といったすでに開発が進んでいる地区に加え、古洞北(Kwu Tung North)、洪水橋(Hung Shui Kiu)、新田(San Tin)、文錦渡(Man Kam To)などのエリアを発展させていく。
この地域の約600ヘクタールの土地に250万人が住み、65万人の雇用(うち15万人はIT系の仕事)を創出するという壮大なもの。住宅は16万5000~18万6000戸の住宅を造るが、これは太古城(Taikoo Shing)の13~14.5倍の規模を誇る。開発の中心地の一つに新田(San Tin)地区を考えており、ここに1110ヘクタールの土地にITの研究施設となる新田科技城(San Tin Technopole)を建設する。これまでも新界北部の開発についてはいろいろな計画があったが、それらを整理。これから着実に計画を実行していく考えだ。
公営住宅についてはこの10年で33万戸を建設するほか、公営住宅に住むのは確定しているが、そこに引っ越すまでに一時的に住む住宅についての整備は、従来の1万5000戸から2万戸に増やす。さらに今後10年間で170ヘクタール、10万戸分の土地を民間向けに準備する。
不動産によるさまざまな税収は香港政府の大きな財源となっており、仮に不動産価格が大きく値下がりすると逆ザヤとなる不動産オーナーの増加、デベロッパーも経営が苦しくなるなど香港経済に悪影響を与え、税収が減少しかねない。そのことから、政府としては一定レベルの価格を維持したいという思いがある。一方で不動産価格の高騰をこれ以上放置すれば香港市民の怒りが再び爆発する可能性がある。高度なバランスを取る必要があり、香港市民が納得できる不動産政策ができるかどうかは不透明だ。
築50年を経過した建物がここ10年で3900棟から8600棟に急増しておりメンテナンスや修復費用に190億香港ドル以上を拠出する。
鉄道では、元朗(Yuen Long)と屯門(Tuen Mun)の中間にある洪水橋(Hung Shui Kiu)と深?の前海を結ぶ鉄道計画の推進が盛り込まれた。「屯馬線(Tuen Ma Line)」の錦上路(Kam Sheung Road)と古洞(Kwu Tung)を結ぶ「北環線(Northern Link)」が計画されているが、古洞から東にさらに延伸させ、香園圍(Heung Yuen Wai)などを経由して粉嶺そばの安楽村(On Lok Tsuen)まで結ぶ考えだ。この鉄道の敷設により大湾区と1時間以内の生活圏を生み出す。
2021年の東京五輪で香港代表は好成績を収めたが、その原動力となった香港体育学院(HKSI)の施設のうち、新しいスイミングプールを5年以内に稼働させる計画だ。香港市民に好評のビクトリア湾沿いに作られているプロムナードをさらに延長させ、総延長距離を25キロにしたいとした。旧啓徳空港(Kai Tak Airport)に全長13キロの歩行者と自転車の専用道路が建設中だが、2023年に一部分が開通する見込みであるとした。
2050年までにカーボンニュートラルを目指し、まずは2035年の時点で2005年と比較して炭素の排出量を半減させるとした。加えて2035年より以前にガソリンまたはハイブリッド車の新規の登録を停止する措置を打ち出す。
香港政府の組織改革も行う予定だ。まず、文化体育及旅遊局(Culture, Sports and Tourism Bureau)を新しく創設。名前の通り、文化、スポーツ、観光を担う部署だ。運輸及房屋局(Transport and Housing Bureau)は運輸局(Transport Bureau)と房屋局(Housing Bureau)の2つに分割する方向で研究を進める。創新及科技局(Innovation and Technology Bureau)は創新科技及工業局(Innovation, Technology and Industry Bureau)として工業面での強化を図るほか、民政事務局(Home Affairs Bureau)は青年及地区事務局(Youth and District Affairs Bureau)として市民の日常のサポートを充実させる。香港政府は伝統的に小さな政府を志向してきたが、ここ数年は大きな政府になりつつあり、今回の組織改編による部局の増加は小さな政府とはほぼ決別したと言える。
また、施政方針とは別に「反外国制裁法」の香港での適用については棚上げされる模様だ。香港にある外資系企業に制裁を加えるとなると国際金融センターであり、流通のハブである香港に大きなダメージを与え、シンガポールのメリットになるという判断がある。都市機能を維持する上で、香港に進出している外資系企業に直接、手を下すことが香港政府にとってレッドラインであることが分かる。現時点では法律の導入には慎重姿勢だ。