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香港発「上海灘」創業者、この世を去る インターコンチ、コラボ・アフタヌーンティー展開中に

上海灘をテーマに展開するアフタヌンティー

上海灘をテーマに展開するアフタヌンティー

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 香港発の世界的ブランド「上海灘(Shanghai Tang)」創業者で、ファッション界で成功した香港人実業家のひとり、鄧永鏘(David Tang)さんが肝臓がんのため療養先のロンドンの病院で亡くなった。63歳だった。

ビクトリアハーバーを一望できるインターコンチネンタル香港のロビーラウンジで提供

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 タンさんはイギリスの新聞「ファイナンシャル・タイムス」にコラムを持っており、そこで自身ががんに侵されている事を明らかにしていた。香港癌症基金会(Hong Konn Cancer Fund)を栄誉主席を務めるなど長年にわたる慈善活動が評価され大英帝国勲章(Knight Commander、KBE。受勲)を受けている。

 タンさんは1954年に香港で生まれ、祖父の鄧肇堅は九龍巴士(一九三三)(The Kowloon Motor Bus Co. (1933。通称:KMB)創業者という裕福な家庭に生まれたこともあり「最後の貴族」と呼ばれる事もあった。九龍塘(Kowloon Tong)にある喇沙書院(La Salle College)卒業後、1966年、13歳でイギリスの学校に留学。その後、ケンブリッジ大学などを卒業し、さらに北京大学でも勉学に励んだ。

 香港に戻った後、家族が経営する会社に勤めた後、太古股●(Swire Pacific)に入社。1991年に中環(Central)の中国銀行(香港)の旧ビルの上階に会員制クラブ「中国会(China Club)」を創設した。中国会は外国人が加入可能な会員制クラブの中のトップの一つだ。

 1994年にはライフスタイル・ブランド「上海灘」を創業した。1930年代上海の中国租界をイメージし、チャイナドレス、バッグ、手袋、アクセサリー、インテリアなど多彩な商品ラインアップをそろえ、その高級な質からプレゼントとして購入する人も多かった。1998年にカルティエ、ランセルなどが主力ブランドのリシュモンが同ブランドの過半数の株式を取得し、2008年には100%の子会社となった。売却された後の上海灘は弱肉強食のファッションブランドの荒波に飲み込み続けられた。

 上海灘は1924年に建てられた歴史的建造物2級の建築物である畢打行(Pedder Building)に本店がある。広さは1万2700平方フィートで200万香港ドルで借りていた。しかし、2011年に米ファストファッションブランド「アバクロンビー&フィッチ」が2.5倍の700万香港ドルでオファー。上海灘にはこの金額は支払えず、代わりの店を見つけることができない状況に陥った。幸い、都●利街(Duddell Street)の現店舗を見つけ、現在に至る。

 最近では上海灘を買収したリシュモンは傘下ブランドを再編しており、経営不振に陥っていた上海灘は6月30日、イタリアのFINALBA SPA HOLDINGSを率いるAlessandro Bastagliさんに売却された。

 2007年には高級中華レストランの唐人館(China Tang)をロンドンにオープン。2013年には香港にも進出し、9月1日現在、置地広場(Landmark)と海港城(Harbour City)の2店を構える。

 タン氏の死去の知らせには多くの人が驚き、悲しみ、哀悼のコメントを残す中、インターコンチネンタル香港のコラボアフタヌーンティーセット(2人で608香港ドル、土曜・日曜・祝日は628香港ドル)にも多くの上海灘ファンが集まっている。上海灘のカラーでもあるライトシアンのボックスは内側がミラーになっていて、同ブランドのイメージを映し出す菓子と外側に並べられるセイボリーには、ワカモレにホタテ、ライムギブレッドにグリーンピースのピューレ、アスパラとチーズをスペインの生ハム「ハモン・セラーノ」で巻いたものなどが並ぶ。スイーツはホワイトチョコ上海灘のプレートを真ん中に、南国ならではのパンダンを使ったパフ、ラズベリーはタルト地、タロとマンゴーのオペラケーキと触感が異なりながらもボックス内に上海灘のシグネチャーカラーをちりばめる形に仕上げた。コラボ・アフタヌーンティーの提供は今月17日まで。

股●=にんべんに分。都●利街=父かんむりに多

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