マカオのカジノ王として知られる実業家、何鴻●(Stanley Ho)さんが5月26日、入院先の養和醫院(Sanatorium and Hospital)で死亡した。98歳だった。前日の25日には病院側が親族に容態が急変したことを伝え、妻や子どもたちが見舞いに訪れていた。
1921年に香港で13人兄弟の9番目として生まれた。「何」という名字は香港では大名家で、彼の大伯父はアヘン戦争に大きく関与した怡和洋行(Jardine Matheon)の総買弁していたことでも知られる何東(Robert Ho Tung)。何東の父系をたどるとオランダ系ユダヤ人であり、彫りの深い容貌はその血が流れている証だ。
13歳の時、父親の事業が失敗し貧しい生活に転落。その後、奨学金を得て香港大学に入学しビジネスを学びつつ、日本語も勉強していたという。在学中に第2次世界大戦で香港が日本軍に占領されたこともあり一家はポルトガル領マカオに移住した。当時ポルトガルは第2次大戦で中立を宣言したためマカオは中立港となり、どの国にとっても貿易がしやすい状況だった。
マカオでは流ちょうな日本語を生かし日本軍に関連する貿易会社、聯昌に勤務し日本の軍事物資の調達などを行った。その後、別会社に転職。当時は戦争で物資不足で食料の調達のなどの仕事を担当しつつ、裏では嗜好(しこう)品の密輸も行った。食料調達などではマカオ社会に大きく貢献した。1943年には澳門火水(煤油)社を設立したが、社会貢献が評価されマカオ総督府から燃料油の専売する権利を取得。日本海軍の廃油を精錬する事業も行い、20代でかなりの資産を築いた。さらには建設会社を知り合いと共同で創業し50年代半ばからは香港でビジネスを拡大した。
戦前の上海で、カジノで成功を収めていた葉漢、香港の資本家である霍英東(Henry Fok)とオランダ領インドネシア生まれで、香港で貿易会社を起こし大成功を収め、後にF1チーム「セオドールレーシング」を結成した葉徳利(スタンレー・ホー氏の親族である何婉婉と結婚)らと組んで1961年にカジノのライセンスを取得した。翌1962年に澳門旅遊娯樂(STDM)を創業し、澳門葡京酒店(Hotel Lisboa Macau)を建設してカジノとホテルを運営した。それからマカオ政府が外資にカジノライセンスを開放する2002年まで約40年間、マカオのカジノを取り仕切った。ほかにも世界一高いバンジージャンプができる澳門旅遊塔(Macau Tower)はSTDMの肝いり事業である。
1972年にはデベロッパー「信徳集団(Shun Tak Holdings)」を香港で設立し、さらに事業を拡大。香港、マカオ、シンバポール、上海などにマンション、オフィスビルなどを建設したほか、元マンダリンオリエンタル・マカオやコロアン島にあるウェスティン・リゾート、香港国際空港そばにある香港スカイシティ・マリオットホテルなども同社が運営する。香港人にマカオでカジノを楽しんでもらうために建設業のノウハウを生かして港を整備し1962年からフェリー業務を開始。1999年水中翼船「噴射飛航(TurboJET)」を導入し、両都市間を約1時間で結ぶようにした。ほかにも、旧啓徳空港(Kai Tak Airport)のクルーズ船ターミナルにも投資している。
澳門賽馬會(Macau Jockey Club)の主席を務め、香港競馬においては、ビバパタカが2006年に香港ダービー、2007年と10年にクイーンエリザベス2世カップを制した。この馬は2004年から11年まで7年間で51戦も出走し、丈夫な馬でもあった。
アメリカの経済誌「フォーブス」の長者番付にランクインする常連で2018年は25億米ドルの資産を保有している。
彼には4人の妻に、17人の子ども、12人の孫がいることでも知られている。最初の妻はポルトガル系マカオ人で、上流階級出身の弁護士の黎婉華(Clementina Leitao)と1942年に結婚。1男3女の母親となったが1973年にポルトガル滞在中に交通事故に遭い、2004年に亡くなるまでリハビリ生活を送っていた。
2人目の妻は藍瓊纓とは1957年に結婚した。香港は現在、1夫多妻制は禁じられているが、1971年10月8日に基本法178条の「修訂婚姻制度条例」が施行されるまではあるが、それより前は重婚が認められおり、合法的な結婚だ。現在はカナダに移民しているが、1男4女をもうけた。長女の何超瓊(Pansy Ho)は信徳集団の主席兼董事總經理を務めており、彼女がスタンレー・ホーの後継者と言える。2女の何超鳳(Daisy Ho)、3女の何超●(Maisy Ho)も同集団の取締役だ。4女の何超儀(Josie Ho)は女優、歌手として成功を収めた。長男の何猷龍(Lawrence Ho)は新濠天地(CITY OF DREAMS)などを運営する新濠國際發展(Melco International Development)のトップで、事実上の閉鎖となった水上レストラン「珍寶王國(Jumbo Kingdom)」も運営していた。
3人目の妻、陳婉珍(Ina Chan)は、事故に遭った最初の妻の黎婉華を介護するために雇われていた。その後、恋中となり1977年に妻となった。既に法律は施行されており法律上は正式な妻とはならないが、ホー氏との間には1男2女が生まれ、二女と長男は双子だ。
4人目の妻は広州でダンサーをしていた梁安琪(Angela Leong)で3男2女の子どもを授かっただが、何猷佳は障がいを持っているといわれており、公式の場に登場しないほか、何一家からも全くと言っていいほど言及はない。最後の子どもとなった何超欣はホー氏が78歳の時に生まれた。梁安琪は歴代の妻の中では一番、ビジネスの才覚がありSTDMの傘下で、マカオのカジノ施設を数多く運営する澳門博彩(SJM Holdings)の大株主であり、香港最大のテレビ局無線電視(TVB)の20%の株を持つ。
2009年に脳外科手術をして何氏が事業の第1線から退くと、事業継承や資産の分配を巡り、4家族で内紛が起こったことも香港社会の大きな話題となった。
2018年には正式にビジネスの世界からは引退したものの、タイパ島に建設中だった総工費約5,000億円の巨大IRリゾートの「上葡京(Grand Lisboa Palace)」の開業は工事が遅れ、2020年12月オープンを目指していたが、それを見届けることなくこの世を去った。
中国による香港版国家安全法の採択は香港の終わりの始まりと海外から懸念されているが、戦後の香港やマカオ経済をけん引してきた実業家第1世代である彼の死も一つの時代の終焉(しゅうえん)を感じさせると香港は悲しみの渦に包まれている。
●=火が3つに木。●=草かんむりに選。