見る・遊ぶ

レスリー・チャン没後20年 香港駅構内やショッピングモールで企画展

香港駅の構内を使って展示

香港駅の構内を使って展示

  • 602

  •  

 香港が生んだエンターテイナー、張国栄(レスリー・チャン)の没後20周年に合わせ、各地でイベントが開催されている。

オリンピック駅のショッピングモールもレスリーチャンのイベントが

[広告]

 香港駅では企画展「●在我心張國榮20年創作展(Reminiscing Leslie Cheung: 20th Anniversary Exhibition)」を開催。レスリーのポスター、レコード、映画のパンプレットなど多数展示している。

 日本でも人気の高かったレスリー・チャンは、1977年に麗的電視(旧ATVの前身)に主催の音楽コンテストで準優勝し歌手デビューした。1984年、吉川晃司さんのヒット曲「モニカ」をカバーした曲「Monica」リリースすると人気が爆発。懐メロとして香港のテレビ局の番組や歌手のコンサートで今でも歌われることがある。

 俳優としても、「男たちの挽歌」「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」「欲望の翼」「ブエノスアイレス」などに続々と出演した。その中でも、カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞した「さらば、わが愛/覇王別姫」では、その繊細な演技で観客を魅了した。

 人気も名声も得たレスリーだが、2003年4月1日、中環(Central)にある最高級ホテル「文華東方酒店(Mandarin Oriental)」の24階の窓から干諾道中(Connaught Road Central)に投身自殺した。救急車に乗せられ、瑪麗醫院(Queen Mary Hospital)に運ばれたが帰らぬ人となった。当時の香港は、重症急性呼吸器症候群(SARS)が広がっている状況の中でのニュースで、エイプリール・フールだったこともあり、第1報を信じない市民も多く、香港社会が混乱気味だった。毎年4月1日になると、同ホテルの前には熱烈なファンによる献花が続いている。

 香港地下鉄MTRが企画したイベントは、香港駅の改札内にあるコンコースという限られたスペースで映像なども流して4月6日まで展示する。デザイナーの陳幼堅(アラン・チャン)さんや共演者とのとの写真、レスリーの歴史やフィルモグラフィーの日本語版、1986年に発売されたシングル「愛火」のレコード(上田正樹のヒット曲「悲しい色やね-OSAKA BAY BLUES-」のカバー曲)、1987年に参加した東京音楽祭に参加した時の歌詞カード、渋谷Bunkamuraで公開された時の「ブエノスアイレス」のポスターをはじめ、レスリーが亡くなったのと同じ年の12月にこの世を去った梅艶芳(アニタ・ムイ)と共演した「縁?(Behind the yellow line/邦題=君が好きだから)」の広告、成報(Sing Tao)の1面を飾ったコンサートの広告などを数多く展示している。

 オリンピックのモール「オリンピアンシティ2(奥海城)」では23日、アトリウムを使ってファンも参加型の展示「Timeless Leslie Encounter」が始まった。430インチのテレビに20本のビデオクリップと、レスリーのファンから集めた3000枚の写真から成る大規模なデジタルモザイクを展示している。ネオンライトの壁にはファンが選んだ思い出の映画や曲を展示し、自動演奏のグランドピアノが名曲を流す。ハイライトは3月31日15時からのイベントで、レスリーの親友、協力者、ファンなどが、スターとの交流のエピソードを披露し、若手歌手のマイク・ツァン(曾比特)さんが名曲を披露する予定。開催は4月2日の12時~21時。

 ●=にんべんに尓。

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース