香港・九龍半島の城中村「茶果嶺村」を象徴するローカル食堂「栄華冰室」の再開発による取り壊しが目前に迫り、香港各地から訪れる人々や地元住民が、その歴史を心に刻もうと連日集まっている。
茶果嶺村は藍田と油塘の間に位置し、200年以上の歴史を持つ「寮屋」と呼ぶトタンや木板で建てた土地権利のない「暫定住宅」が集まった村を指す。名前の由来には諸説あり、丘の形が客家の伝統的なお菓子「茶果(チャーグオ)」に似ていた説と、葉で茶果を包むオオバギが周囲に大量に植えられた説などがある。
18世紀末から客家系の人々が香港へ移住し、1841年の香港開港以降、建材となる花こう岩(グラナイト)の需要が高まった。同村は農業と、牛頭角・茜草湾・茶果嶺・鯉魚門の「四山(フォーヒルズ)」と呼ばれる、優れた技術を持つ石工たちが集まる主要な採石拠点の一つとして栄えた。採取された石は高濃度の鉄分と高硬度で採用され、香港の旧最高法院(現・終審法院)や、香港1級歴史建築に認定された旧中国銀行ビルの石材も、ここから切り出されたといわれている。
戦後多くの人々が移住し、人口が急増。50年代に政府が近海を埋め立て、觀塘の工業地帯と住宅を発展したことで、採石業から産業が変わっていった。1950~70年代の全盛期には人口が約2万人に達したという。その後、政府による制限と、工業・輸送業の発展によって、採石業が完全に没落した。
都市化や度重なる大火により多くの木造家屋が失われ、住民は徐々に村を出た。政府も都市開発に併せた再開発計画「2019年施政報告」で取り壊しを発表し、その中の対象地域には茶果嶺村・牛池湾村・竹園聯合村の「三大寮屋区」が含まれている。一部の住民は再開発に反対の声を上げたが、老朽化を理由に、政府は段階的に取り壊しを始めた。
同村では、2023年7月と2025年3月から整地やインフラ工事が段階的に始まり、8.9ヘクタールの土地の再開発を目指す。2030年代をめどに再開発完了が予定されており、約4500戸の公営住宅が提供される見込みだ。
現在は村にいくつかの重要な史跡が残され、歴史建築として認定されたものもある。「天后廟」 は1825年に観塘湾で建立され、1948年に現在の場所に移転された。海辺信仰の中心として多くの信者を集め、毎年、「天后誕」を行ってきた。
「四山」の採石業の歴史を反映し、全体が花こう岩で造られた廟(びょう)の前には、触れば子宝に恵まれる信仰がある「求子石」と呼ばれる一対の巨石がある。同様に、3級歴史建築に認定された「羅氏大屋」は、同村に最初に移住してきた羅家によって、花こう岩で建てられた2階建ての民家で、茶果嶺に現存する最古の住宅建築である。
村の象徴として知られる「合意龍」は1958年に村人により造られた、全長20メートルの貴重な端午のドラゴンボート(龍舟)。当時は多くのドラゴンボートレースで賞を取り、村の誇りでもあった。埋め立てにより海へ直接下ろすことができなくなり、現在も毎年端午の時期に祭られており、再開発が進む中でも村の有志によって大切に保管されてきた。
多くの建物が取り壊されている中、村内でいくつかの店が営業している。現存するローカル食堂の一軒「栄華冰室」は、1962年に、元々はキリスト協会だった建物で、現店主「鏡叔」さんの父親時代に創業した。
店にはトタンが使われ、開業当時の装飾をそのまま残している。店外には店の歴史が書かれたボードと、トタン製のポストも設置されている。店内は、昔ながらの香港らしいレトロな配置が施され、中でもコンパクトな空間を十分に活用した、80年以上の歴史を持つ木製の対面シートが列並ぶ。壁には手書きのメニューボードや、訪れた人々の写真、家族写真、古い上海ポスターなど、博物館のような懐かしさがあふれている。
ほかにも、古いつり扇風機、Pepsiの冷蔵庫、鉄製の郵便箱などが並び、80年代の音楽が流れる中、まるで時代が止まったかのような空間がある。再開発の発表以来、昨年末の閉店のうわさが流れるなど、連日多くの人々が訪れた。
人気メニューでは、卵液を付けて揚げた「西多士(フレンチトースト)」(20香港ドル)。黄金色に揚げた食パンに、たっぷりのバターとシロップをかけている。外はサクサク、中はフワッとした食感で、多くの人々が求めて遠方からやって来た。 卵をのせた麺類や、瓶で提供するレトロ感ある飲み物も名物で、現在の物価では考えられない、リーズナブルな価格で提供している。
同村の再開発に合わせて、同店も取り壊される予定。鏡叔さんは「移転する予定がない」と述べ、「ただ、できる限り、やれるところまで続ける」とも話している。
営業時間は9時30分~17時。不定期営業。