70年以上の歴史を誇り、ガチョウのローストで世界的に有名な中華レストラン「鏞記酒家(Yung Kee Restaurant)」を取り巻くお家騒動の判決に注目が集まっている。2010年から経営権などをめぐり2代目の長男と共同経営者だった次男が骨肉の争いをしてきたが、香港の最高裁判所に当たる終審法院11月11日、原告である長男側勝訴の判決を下した。
同レストランは1942年、甘穗煇が5万ドルを元手に屋台で創業。ガチョウのローストが評判を呼び、同年アワビの卸問屋が集まる上環(Sheung Wan)の永楽街(Wing Lok Street)に店を構えた。1944年に●典乍街(Pottinger Street)、1964年に現在の威霊頓街(Wellington Street)に移転し、1973年になると小さいころから家業を手伝ってきた長男の健成が2代目として同店を引き継いだ。1978年には4フロア分を上階に増築し現在のビルの形となる。
1978年にはヴァージン諸島に持ち株会社「鏞記控股(Yung Kee Holdings Limited)」を創設し、妻の麦小珍さんが10%、健成さん35%、次男の●禮さん35%、三男●岐さんが10%、長女の美玲さん10%となったが、実際の経営は男3兄弟のトロイカ体制だった。
2004年12月、創業者の穂輝が96歳で死亡し、2007年になると三男の?岐が急逝したことで権力争いの兆しが見える。次男は手を回し三男の株を引き受け45%を握る。バランスが崩れることを不安視した母親は2009年5月に自分の持ち株10%を長男に譲りこちらも45%となったが、これが次男にとっては不満だった。2カ月後の7月、次男は自身の子ども3人に取締役会に加入させることに成功し実権を握る。
2010年、長男の健成は持ち株会社の鏞記控股を解散させるか自分の45%の持ち株を買い取るよう要求し高等裁判所に訴えを起こした。このころには母親は長男から実権を握る次男にくら替えしている。その後、長女は次男を支持し自身の株式10%を譲ったため次男の保有比率は半数を超える55%に達し、完全にレストランを掌握した。レストランが一等地にあり、利益も上げていたことから評価額は高く総額20億香港ドル。次男が買い取ろうとしても45%の買い取り額には9億香港ドルが必要だった。
最終的に高等裁判所は訴えを受理し2012年1月に裁判が始まった。しかし、判決が下される直前の2012年10月26日、原告の長男・健成さんが66歳で死去。5日後の10月31日に公開された裁判所の文書によると、登記はヴァージン諸島のため、登録地の裁判所が下すべきとした。
それを不服とした健成の長男である崇軒さんらが中心となって2014年6月に終審法院に上訴し、2015年11月11日に結審した。判決は裁判官5人が全員一致の内容で「法人はヴァージン諸島にあるが、役員は香港在住で売り上げも香港であることを勘案すると、香港で処理するべき」とした。そして、28日以内に協議を進め買い取りが物別れに終わった場合、会社は自動的に清算されるとし、高等裁の判決を覆す内容となった。香港にはヴァージン諸島などタックスヘイブンに登記している企業が数多くあり、この判決は節税を含めた動きに何らかの影響が出る可能性がある。
今後、次男側は兄側の保有株を買い取る形で幕引きとなると予想されるが、ようやく老舗の騒動が終息を迎える公算が高い。
健成の長男の崇軒さんは2014年に天后(Tin Hau)に「甘飯館」を経営し、祖父、父から受け継いだ味を守っている。次男の崇轅さんもほぼ同じ時期に灣仔に「甘牌焼鵝」という店を湾仔(Wanchai)に開いた。開業わずか4カ月で「ミシュラン」の2015年版で1つ星を獲得。2016年版でも星を維持している一方で、「鏞記」はここ数年ミシュランの星を獲得できておらず、対照的な結果となっている。
●典乍街=●は石へんに本。●禮、●岐=●は王へんに昆。